「江頭」というのはかなり珍しい名字ではないだろうか。
しかし珍しい名字であれば、鈴木や佐藤などというメジャーな名字よりも、そのルーツやご先祖様が調べやすいかもしれない。
江頭2:50の先祖とは誰なのか?その謎に迫ろう!
江頭という名字のルーツはどこにあるのか?
現滋賀県である近江国野洲郡江頭村が起源(ルーツ)である、大村藩の士族にみられる。
名前由来NETより
良く調べてみると、江頭氏はもともと滋賀県(近江)の士族の一族。つまり農民や商人じゃなく、りっぱな武士の一族なのだ。
もともと室町時代に時の大名である今川氏に仕えるが、今川氏が佐賀県(肥前)に移住したことにより、江頭氏一族も一緒に佐賀県に移住したとの事。
実は江頭2:50の出身地も佐賀県!!
この共通点から見ても、江頭2:50は士族の出身だった可能性が高いのではないだろうか?
佐賀には江頭城があった!!
佐賀市鍋島町には「江頭城跡」という場所がある。
この城は戦国時代に今川伊予守胤秋に仕えた家臣「江頭摂津守」という武将が建築したもの。
江頭2:50の出生地も佐賀県であることから、江頭摂津守が江頭2:50のご先祖様であることは間違いない!
しかしながら、応仁元年(1467)に千葉教胤との戦で、大将今川胤秋と共に家人江頭摂津守も討ち死にしたとある。
そして現在は江頭城は跡かたもなくなっていて、一部は住宅地になっているのだ。
大将とともに討ち死にした武将、その男気というか、男同士というか…。
「1クールのレギュラーより1回の伝説」という江頭2:50の名言の中に内包される、純日本的な刹那に見出す美意識と通じるところがある。
江頭城跡、いつか是非行ってみたい!!
エタ頭→えがしら?
エタの頭、つまりリーダー的存在が「江頭」になった、という説も存在する。
エタというのは、「エタ・非人」と呼ばれる昔にあった差別部族の事。エタは人間扱いすらされず、相当に酷い差別を受けていたようだ。
そんなエタのリーダーが江頭、なんて話。本当かどうかはわからない。
差別を受けた一族の恨みつらみが江頭2:50の身体を借りて、現代で爆発している…なわけないか。
とはいえ、江頭2:50が人を引き付けるリーダーの資質を持っているのも、そんなご先祖様がいたからなのかもしれない。
江頭2:50のルーツは?
江頭という名字事態は、全国では珍しいけれども、江頭2:50の地元佐賀ではそんなに珍しくはないらしい。
きっと、江頭摂津守がそのルーツであろうが、詳細は不明。
江頭2:50の親父さんが酒屋を営んでいた、ということだけは確かなんだけど。
ルーツはどうであれ、江頭2:50の伝説はこれからの時代に綿々と受け継がれていくだろうことは確かだ!!