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バットマンを観たことないのに映画ジョーカーをみた感想(ネタバレあり)

2019年10月17日

https://www.youtube.com/watch?v=C3nQcMM5fS4

バットマンの作品をまったく観たことないのに、映画ジョーカーを観てきた。

ダークナイトが大好きな友人に誘われたので。

ジョーカーを観る前にわたしが知っているバットマンについての知識はたったのこれだけ。

  • バットマンという超金持ちの正義の味方がいて悪をやっつける。
  • バットマンのライバルである悪の親玉にジョーカーがいる。

で、映画ジョーカーのCMを観たかぎり、こんなストーリーを予測していた。

 

めちゃくちゃ不幸な青年がどん底の人生の末、自分を虐げた人々や社会に対して復讐するために悪のヒーロー・ジョーカーとなる!!

 

観た結果、ほとんど予想通りの映画だった。

しかしながら、ジョーカーはそれだけではない大きな”謎”や面白さがある。

 

今回は、バットマンを全く知らない私がジョーカーを観た感想と、ジョーカーに秘められたトリックを考えてみたい。

映画ジョーカーのストーリーと感想

まずは映画ジョーカーのストーリーを紹介したい。

…と思ったらWikipediaでストーリーの概要が載ってたので、それを抜粋して紹介しよう。

ゴッサム・シティでピエロの派遣業で働いてるアーサー・フレック。認知症の母を介護する傍らスタンダップコメディアンを目指しながらピエロの仕事をして下積みをしている。

幼い頃からトゥレット障害により感情が高ぶると反射的に笑いだす障害を持っていた。福祉サービスによって薬が提供され症状は抑えられていたが、トーマス・ウェインによる政策で医療福祉の解体によって、薬の服用が出来なくなり悪化する事になる。

ゴッサムの治安の悪さから、仕事中に路上でチンピラによる暴行等を受けても耐えてきたが、同僚が防犯のためと渡した銃がきっかけとなり事態が一転する。

医療施設でピエロを演じている際、しまっていた銃を落とした事がきっかけで解雇される。その帰宅中に地下鉄内でナンパをしていたウェイン産業の社員の前で笑いの発作を起こした為に勘違いで暴行され、感情が昂り銃を発砲し全員を殺害してしまう。

更に母親がかつてトーマス・ウェイン邸で働いていた事から支援の手紙を書いていたのを偶然目撃し、愛人であったという文面から自分がトーマスの息子ではないのかという疑惑が高まり独自に調査をする。

結果、母親は若い頃から精神に異常をきたし、一方的にトーマス・ウェインを恋人だと思い込んでいただけでなく、自分は養子で、母親の元恋人に虐待を受け障害を患った事を知る。

マンションの隣人と恋仲となり、わずかながら幸せを感じていたが、それもまた自分が苦境の中から作り上げた妄想だと知る。

自分が目標とするコメディアン、マーレイに自分が発作を起こしながらネタを披露する姿をテレビで笑い物にされるなどの不幸が重なり、完全な狂気に追い込まれる。

狂気に追い込まれてからは、母親をはじめ自分を陥れた身近な友人を殺害し、出演依頼を受けたマーレイの番組で拳銃自殺をしようと考えていた。

警察に追われている際、自分が起こした地下鉄銃撃の反響が大きな暴動に変わって行く様を観て次第に社会が混沌をきたしていることに快感を感じるようになる。

見た目は赤いスーツに仕事の際のピエロメイクをそのまま施している。チェーンスモーカーで、タバコをフィルターまで吸いきるほど。

参照元:ジョーカー(wikipedia)

主人公のアーサーは、ほんと、散々な目にあっちゃう。

  • 神経に障害があり面白くもないのに笑い出してしまう
  • ヘマをして仕事をクビになる
  • 母親が精神病を患っていて看病が大変
  • 自分はホントは養子で子どものころに虐待を受けていた
  • 美人の女性と恋仲になっていると思っていたら妄想だった
  • 自分がコメディアンとして立ったステージがテレビで放映され、笑いものになった。

これがアーサーの身の上に巻き起こった不幸。

たしかにヒドイ。

 

だけど、悪の化身であるジョーカーになっちゃうくらい凄まじい不幸かというとそうでもない気がする。

 

スラムドッグミリオネアという映画で、スラム街に住んでる子どもが悪い大人に熱した油で失明させられるという残酷なシーンがあった。

なぜ、子どもは失明させられたのか?

「障がい者のほうが物乞いで効率よくお金がもらえるから」ただそれだけの理由だ。

こっちのほうが何倍も不幸だし、社会の理不尽さを表しているし、ショッキングだった。

 

ジョーカーになったら不思議なパワーを身に着けるのかと思うとそうでもないし。

普通の人間であるアーサーが狂気に囚われて暴動のカリスマに祀り上げられたっていう、それだけの話だ。

人を”悪”に駆り立てる本当の悪魔とは?

ジョーカーは悪役、この前知識しかもっていなかったけど、実際映画ジョーカーをみて「ジョーカーってホントに悪なのかな?」と思ってしまう。

アーサーは恵まれない人生を送ってきた。

そんなアーサーがひょんなことから、ピエロの格好のままエリート社員3人を銃殺してしまう。

この事件がゴッサムシティの最下層の人たちの支持を集め、大きな暴動へと発展していく。

 

そしてその対極にある金持ちがバットマンだ。

映画ジョーカーではバットマンは出てこないけど、いずれバットマンになる少年ブルース・ウェインは登場する。

超金持ちの政治家トーマス・ウェインの息子として。

 

ここで金持ち・権力者VS貧乏・社会から必要とされていない人たちの対立構造が生まれる。

けっして善VS悪ではないし、ジョーカーは悪の代表としてえがかれていない。

 

人間を悪の道へといざなうホントの悪魔となんだろう?

 

それは貧困であったり、孤独なのではないだろうか。

テレビのニュースをつけると連日報道されるいろんな犯罪、そして犯罪者。

たとえばこれから犯罪を犯そうとする者がいたとして、その前に偶然にも宝くじで6億円当選したとしたら…そのあとに犯罪をするだろうか?

自分の能力を十分に発揮できる職と給料があったら?

気心の知れた友人や、支えてくれる家族、心から愛する恋人がいたら、犯罪をするだろうか?

 

ゴッサムシティにはスラム街が広がり、貧富の差が激しく、民衆の不満が溜まっていた。

そこにアーサーが事件を起こしたことで、臨界点を超え、暴動に発展してしまった。

 

民衆を虐げて甘い汁を吸う金持ち、今日生きる小銭を稼ぐために人を殺す悪党、どちらが本当の悪なのか?

そこでむしろアーサーに、そしてジョーカーに共感できるって人は、この日本にもたくさんいる気がする。

謎を呼ぶラストシーン

ジョーカーという映画は「アーサーという男の不幸な人生」をこれでもかと見せつけ、わたしたちに「本当の悪とは何なのか?」を突き付けてきた。

…が、さらにもう一つの視点がある。

 

映画ジョーカーでは、わざとアーサーの妄想と現実をあやふやに表現している。

劇中で明確に妄想だとわかるのは冒頭のワンシーンだけ。

それはアーサーが大好きなバラエティー番組を観ながら、自分もコメディアンとして番組に登場して拍手喝采を受けるというもの。

コメディアンであれば、だれもが一度はしたことがある妄想だろう。

 

その次に登場する妄想は女性との恋愛だ。

マンションのエレベーターでたまたま一緒になった女性に恋愛感情を抱くアーサー。

アーサーは後日、彼女を尾行する。(そんな風にしかアプローチできない自信のないアーサー!)

その日の夜、アーサーの家に突然訪れる隣人の女性。

「あなた、今日わたしのこと尾行してたでしょ?」

「ああ」

「強盗されるかと思った」

「襲わないよ。僕はコメディアンなんだ」

「じゃあ、こんどステージの予定教えて」

こんな感じの会話を交わす。(うろ覚え)

 

なんですか、この超展開!!!

都合よく女性が声をかけてくれて、うまいこといっちゃう妄想なんて、思春期の男子ならだれもが一度はしたことがあるだろう。

 

それをきっかけに二人は仲良くなって、デートなんかしたりするんだけど…

これ、ぜんぶアーサーの妄想。(だと思う)

映画の最後のほうでアーサーがピエロの格好で女性の家のソファーに黙って座っている。

それを発見した女性は恐怖におののきながら、「あなたの部屋はあっちでしょう」と語りかける。

これだけ。

なぜ、アーサーがそんなことをしたのか、二人がどうなったのかはわからない。

ただ女性の初対面の男を見るような恐怖の顔から、二人の関係がすべてアーサーの妄想だったのだろうと想像させる。

これはわざとわかりにくくしてあり、実際、一緒に観た友人は彼女との関係がすべてアーサーの妄想だと気づいていなかった(もちろん妄想でない可能性もあるけど)

 

①テレビ番組で活躍して拍手喝采

②女性と仲良くなって幸せ

 

以上のふたつが、映画ジョーカーで語られた、アーサーの悲しき妄想だ。

 

でも、よくよく考えると、すべてがアーサーの妄想であっておかしくない展開であるの気づく。

実は金持ちの息子だった妄想

貧乏ならいちどはこう妄想したことがあるんじゃないだろうか、「実はオレは金持ちの隠し子で、急に遺産相続の話が舞い込んで…100億円もらえちゃう!!」なんて。

そんな妄想をアーサーもしている。

自分の狂った母親が金持ちの政治家トーマス・ウェインのところで働いていて、なんども「私たち親子を助けて欲しい」という手紙を出していた。

そんな母親の手紙を盗み見たアーサーは、そこに「自分はトーマスの息子である」という衝撃の真実を発見する。

劇中ではその事実について、「母親の妄想」か「トーマスが金に物を言わせて事実を握りつぶした」ということになっている。

…が、すべては”アーサーの”妄想なのではないか。

(ちなみにもし「トーマスが自分の息子を認知せず金で隠ぺいした」としたら、バットマンとジョーカーは異母兄弟という激アツ展開になる)

同僚を拳銃で打ち抜きぼっこぼこにする

アーサーはピエロとしての仕事をクビになって、期せずして犯罪者となってしまった。

そんな彼を心配し、自宅に訪れた元同僚の2人。

そこでジョーカーはブチ切れてムカつく元同僚をピストルで打ち抜き、ボッコボコにする。

そしてもう一人の同僚を「君だけは優しかったから」と見逃す。

 

この展開もまた、なんとなく中二病的な妄想の臭いがする。

まあ、みんなムカつく同僚や上司の一人や二人は、妄想の中でボッコボコにしたりぐっちゃぐちゃにしたことがあるだろう。

そうやって密かにストレス発散!

このシーンもまた、そんな虐げられたものの妄想のひとつなのではないか。

テレビ出演&司会をピストルで撃ちぬく

自分がコメディアンとして出演した映像をテレビで放映し、笑いものにした会社を、ジョーカーはテレビ収録の最中にピストルで撃ちぬいている。

…これもまた、青臭い妄想の可能性がある。

テレビのまえで、いけ好かない有名人にピストルをぶっ放したら、さぞかし爽快だろう。

 

「みんなが注目する前でビックリするようなことをする」

そんな稚拙な妄想は、子どもの頃にはみんなしたんじゃないだろうか。

自分きっかけで暴動が起こり、暴動の中心人物となる

テレビ番組で人を殺したジョーカーは警察に連行されるんだけど、その途中で暴徒に襲われてパトカーは大破。

車内から連れ出されたジョーカーは、恵まれない暴動者たちのなかで笑みを浮かべて踊る。

 

…この「自分がみんなの中心になる」という展開もまた、妄想なのではないか。

 

それ以外にもたくさんの「アーサーの妄想」っぽい展開がある。

アーサーの妄想は、誰の心の中にもある普遍的なものであり、アーサーの妄想が自分自身の妄想であることに気づくのだ。

そこに否応なく共感しちゃうからこそ、この映画はコワイ!(逆にまったく共感できないほど満たされた人生を送っている人にはこの面白さはわからないだろう)

  • 実は有名人と恋人同士でいつバレないかヒヤヒヤした生活を送っている
  • 宝くじで何億円も当たってバレないようにするのが大変
  • 銀行の窓口で手続きしていたら銀行強盗が押し入り、それを見事解決して窓口の美人なおねーさんと恋仲になる。
  • なぜかビートルズのいない世界に紛れ込み、ビートルズの曲で世界的なミュージシャンになる。
  • 交通事故で死んだと思ったら異世界に転生していて自分の特殊能力で無双し世界を救う。

そんなアホみたいな妄想をなぜしてしまうかというと、現実の自分が圧倒的に満たされてないから。

アーサーはツライ現実ばかりで限界に達していた。

だから妄想の世界に逃げ込んだ。

それが「ジョーカー」という映画の真実ではないのか。

 

ラストシーン。

暴動の真ん中でピエロの格好で踊っていたジョーカーであったが、急に白い壁の精神病のようなところで拘束されている。

あれ、暴動はどうなったの?

結局、アーサーは警察に捕まったの?

精神病院に強制入院になったのかな??

 

説明は何もなく、その施設のスタッフから逃げ出して追いかけっこをするという、ちょっとコミカルなシーンで映画は幕を閉じる。

これは最初から最後まで、映画のすべてがアーサーが語るジョークか妄想である可能性を示唆しているようだ。

 

映画を見た後にWikipediaをみたら、ジョーカーは他のバットマンシリーズとはまったく繋がりのない、独立した映画なのだとか。

だとしたら、「アーサーは後に施設から逃げ出しジョーカーとなってバットマンと戦ったのです」よりも「すべてがアーサーの妄想だった」のほうがしっくりくる気がする。

 

というわけで、長くなったけどまとめると、映画ジョーカーはめっちゃ面白かったってこと。

退屈な映画は途中で眠くなったり、集中力が途切れるものだけど、ジョーカーは最初から最後まで集中してみることができたし、2時間があっという間だった。

あんなに悲しそうに笑うアーサーを見ていると、観ている側もとても悲しくなってくるし。

 

「すべてが妄想かもしれない」ということを踏まえてみてみると、また違った面白さがあるかもしれないね。

 

最期に、

この映画ジョーカーは公開当時から賛否両論が巻き起こっていて、「観るべきではない」という声も多数上がっているとか。

そんな”バットマン側”の意見は無視していいし、いうほど有害な映画でもないと思うよ。

追記:ダークナイト観ました

ジョーカー観た後に、ダークナイト観てみた。

劇中に2回、ジョーカーが「自分の口が裂けている理由」を語るシーンがある。

「最悪の父親のせいで…」

「最悪の彼女がいて…」

そのどちらもが、口から出まかせのストーリーだった。

相手を煙に巻いて笑うジョーカー。

 

「こんにちは。ブラッド・ピットです」

と笑う高田純次のように掴みどころがない。

 

ダークナイトを観た人はわかるんだろう。

やっぱり「ジョーカー」の映画で語られた悲劇的なストーリーは、ジョーカーが語る出まかせのジョークなんだなぁ~と。

このたちの悪いブラック・ジョークに心から笑える人や救われる人なんかもいるんだろうね。

追記2:ジョーカーは無敵の人で機械仕掛けの神様です

映画ジョーカーが世界的に大ヒットしているそうな。

DC映画史上に残る異端の話題作『ジョーカー』が、全世界興行収入10億ドルをついに突破した。2019年11月14日(木曜日・米国時間)、本作の世界興収は9億9,910万ドルに到達。現地メディアは同日時点で、翌15日には10億ドルの大台を超えると大々的に報じていた。なお、R指定作品としては史上初の快挙となる。

『ジョーカー』は米国興収およそ3億4,000万ドルに達したと伝えられており、海外でもイギリスや日本、韓国などを中心に大ヒットを記録。特筆すべきは、世界最大の映画市場である中国で公開されていないにもかかわらず、10億ドルという一大成績を達成したことだ。いかに本作が世界各国で社会現象的なヒットとなったのか、この数字こそが最大の証明といえるだろう。

参照元:『ジョーカー』世界興収10億ドル突破、R指定作品史上初 ─ トッド・フィリップス監督、感謝の映像を公開

Twitterでもジョーカーを何度も観に行っているとつぶやいている人がたくさんいる。

 

なぜこんなにも大ヒットしたかといえば、それは当然、ジョーカーに共感できる人が多かったからだろう。

ジョーカーの感じている生きづらさ、苦しみ、憎しみ、絶望、そういった負の感情に。

 

…で、最近の日本ではいわゆる”無敵の人”の凶悪犯罪がちらほらと発生している。

簡単に言ってしまえば、『失うものが何も無い人間』のこと。失うものが何もないので社会的な信用が失墜する事も恐れないし財産も職も失わない、犯罪を起こし一般人を巻き込むことに何の躊躇もしない人々を指す。

(中略)

無敵の人にとっては犯罪を起こす事など何の抵抗もなく、逮捕されることは社会からの追放ではなく「まぁいいか」程度の環境の変化に過ぎず、死刑を課したところで「生きることに執着していない」ため、自殺の手伝いにしかならない。寧ろ「自分が本当に警察ほか多くの人間を動かして見せた」事にこそ満足感や充実感を覚える無敵の人にとって、逮捕は予定調和のゴールに過ぎない。

(中略)

自殺願望を抱いている人が、赤の他人や家族を巻き込んで自殺する心理的メカニズムについて、精神科医の片田珠美は、サディズム的傾向と自己破壊衝動が容易に反転することを挙げている。いわく、「ときには、殺人が、殺人犯自身の一部分を破壊する試みであるように見えることさえある。その部分を被害者に投影して消し去ることを望んでいるのであり、このような他殺は、いわば『部分的な自殺』ともいえる」(M・グットハイマー)、「攻撃する対象の中で襲おうとしているのは、自分自身のカコン[2] 以外の何物でもない」(ジャック・ラカン)[3]。

参照元:無敵の人(ニコニコ大百科)

ジョーカーって明らかに”無敵の人”だよね。

心優しくて純粋なアーサーが絶望の果てに”無敵の人”になる、そんな映画。

 

7人が死亡した秋葉原無差別殺傷事件や、36人が死亡した京アニ放火事件も、”無敵の人”が起こした凶悪事件と言われている。

みんなから恨まれ「すぐに死刑にしろ!」と罵られる事件の犯人。

映画とはいえ、みんなから共感され、愛され、大ヒットしたジョーカー。

 

何が違うのか?

 

おそらくほとんど違わない。

ただそこに”悲劇”があるかどうか、それだけの違いなのだろう。

 

じゃあ、悲劇とは?

悲劇(ひげき、英: tragedy)とは、古代ギリシアに成立し(ギリシア悲劇)、ルネサンス以降のヨーロッパにおいて継承・発展した演劇形式である。またその演劇の脚本・戯曲のことも悲劇と言う場合がある。多くは主人公となる人物の行為が破滅的結果に帰着する筋を持つ。転じて、同種の筋を持つ他地域の演劇や現実の出来事を指しても用いられる。なお、まれに悲劇のうちには「機械仕掛けの神」(デウス・エクス・マキナ)によって事件が解決される筋をもつものもある。

参照元:悲劇(Wikipedia)

悲劇はまれに機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)によって解決に向かう。

 

デウス・エクス・マキナというのは演劇の展開のひとつ。

「複雑に絡み合ったストーリーの最後に絶対的な力を持つ神様が現れてぽ~んとすべてを解決しちゃう」という、かなり強引に物語を終結させる演出方法なのだとか。

 

この演出方法って、映画ジョーカーでも使われているよね。

おそらく作為的に。

ムチャクチャになったゴッサムシティなわけだけど、最期に物語はジョーカーの作話だと匂わせて終わるんだ。

これはジョーカーは物語をどうにでもできる「神」ってことなんじゃないだろうか。

 

「ジョーカー」はアーサーという純粋な青年が無敵の人になるまで悲劇をえがき、古典的なデウスエクスマキナの手法で幕を閉じた映画ってわけだ。

  • B!