どんなに平凡に見えるような人生でも、何度か、奇跡みたいなできごとが起きることがある。
今のところ普通の人生を送っているボクだって例外じゃない。
…これは焼きまんじゅうとボクを巡る”思い出を探す旅”の話だ。
なぜボクは焼きまんじゅうが好きなのだろうか?
ボクは焼きまんじゅうが好きだ。
串にささっているまんじゅうには、甘じょっぱい醤油ダレがたっぷり。
表面が少しだけ焦げていて、香ばしいにおいが食欲をかきたてる。
かじると、外はパリッとしていて、中は柔らかくて熱々。
美味い!!
そう、焼きまんじゅうは美味い。
だから、焼きまんじゅうを見かけるといつも買って食べる。
高速のパーキングエリアで。
レジャー施設のフードコートで。
山の中腹の休憩場で。
やっぱり、美味い!!
…だけど、何だろう。
どこの焼きまんじゅうを買って食べても、美味しいんだけど、心の奥で(ここのも違うな…)と感じていた。
食べた瞬間に、美味しさと同時に、少しだけガッカリする。
だから「次こそはきっと」と、違う場所で焼きまんじゅうを見かけると買って食べる。
その繰り返しだ。
自分が何を求めているのか、何にガッカリしているのか、自分でもよくわからない。
なんだろう、この気持ち。
焼きまんじゅうは美味しい、だけど”ボクの想定している味”を超える焼きまんじゅうとは出会ったことがなかった。
そんなある日、群馬県に行く機会があり、そこの商業施設に併設されたフードコートで食事をすることになった。
何を食べたのかはまったく覚えていない。
トレーに食事を乗せてテーブルにつくと、通路を挟んだ目の前で焼きまんじゅうを売っていた。
(あ、焼きまんじゅう売ってる。食後に食べようかな~)
そう思った。いつものことだ。
軽い気持ちで、その焼きまんじゅうを買って食べたのだけど、
奇跡が起きた。
それはまさに、寸分たがわずボクが食べたかった焼きまんじゅうそのものだったのだ。
甘いタレ、サクッとした食感のまんじゅう、すべてが、奇跡的に美味い!!
そして思い出した。
ボクはとてもとても昔に、このまんじゅうと出会っていたということに。
あれは小学生の頃だったから、今から20年以上前のこと。
当時住んでいた福島県の家の近くにラーメン屋ができた。
そのラーメン屋は、ラーメン屋のくせに、なぜか焼きまんじゅうを売っていた。
今考えると、ラーメンと焼きまんじゅうの取り合わせなんて見たことないが、田舎だったから何でもありだったのだ。
そのヘンテコなラーメン屋で食べた焼きまんじゅうが、それはもう、とてつもなく美味しかった。
そのラーメン屋はラーメンが不味かったのかわからないが、すぐに潰れた。
ラーメンを止めて焼きまんじゅう専門店にしていれば、少なくともボクはお得意さんになっていたと思うのだけれど。
とにかくそのラーメンの味は覚えていないけれど、焼きまんじゅうの味だけはずっと脳の奥に染み込んでいた。
ボクが無意識に探していたのは、ボクが期待している焼きまんじゅうの味は、あの子どもの頃に食べたラーメン屋の焼きまんじゅうの味だったのだ。
あれから20年以上。
そんな思い出なんてとうの昔に忘れ、残ったのは焼きまんじゅうへの渇望だけ。
何を求め、何を期待しているのかもわからずに、ただ何気なく食べた焼きまんじゅうに答えがあった。
その焼きまんじゅうを食べたボクは、躊躇なく「お持ち帰り焼きまんじゅう」を購入した。
お持ち帰り焼きまんじゅうは、自宅のレンジでチンして簡単に食べることができるという。
自宅で食べた焼きまんじゅうは、やっぱりあのラーメン屋の焼きまんじゅうの味だった。
調べてみると、どうやら群馬の名物のひとつに焼きまんじゅうがあり、観光客に超大人気だという。
まったく知らなかった…。
今までずっと、いろんなところで食べた焼きまんじゅう。あれは群馬の焼きまんじゅうではなく、ただ普通の焼きまんじゅうだったってわけだ。
もしあなたが「焼きまんじゅう?美味しいけど、別に普通だよね」と思っているのなら、是非とも本場、群馬県の焼きまんじゅうを食べてみて欲しい。
「うまーーーーーい!!」
と叫んじゃうくらい美味いはずだ。
できることなら群馬県で焼き立てを食べてみて欲しいけど、今では”お取り寄せ”もできる。
20年以上探し続けたあの伝説の焼きまんじゅうが自宅で!!
超おすすめでっせ。
私たちは、会えば絶対、すぐにわかる
ボクには焼きまんじゅうと同じような”探している味”がもうひとつある。
4~5年前に、あるお店で飲んだコーヒーだ。
私は365日1日も欠かさずにコーヒーを飲むコーヒー大好き人間だけど、あのお店で出されたコーヒーが人生で一番美味しかったと胸を張っていえる。
といってもそこは、しゃれた喫茶店や評価の高いコーヒー専門店ではない。
個人でやっている小さなイタ飯屋。
ランチの時間帯に1000円くらい出せば、日替わりでパスタなんかがお腹いっぱい食べられる。
そこで食後に出されるセットのコーヒー、こいつがもうめちゃくちゃ美味かったのだ。
今まで1杯1,000円以上するコーヒーを飲んだこともあるし、コーヒーが美味しいと有名な喫茶店のコーヒーも飲んだことがある。
だけど、あそこのランチセットで出されたコーヒーの方が遥かに美味しかった。
そこはとても小さな店で、カウンター席だけ。10人も座れば満席になっちゃう。
目の前で料理してくれて、それがそのままテーブルに出される。店はマスターひとりで切り盛りしていて、料理から会計までひとりでこなしていた。
昼時ともなればめちゃくちゃ忙しくなる。なのでコーヒーは別にその場で丁寧にドリップしているわけではなく、ステンレス製のポットからドボドボとカップに注がれただけ。
だけど、格別に美味い!
いつもは引っ込み思案で人に話しかけることのないボクだけど、その時ばかりはマスターに聞いた。
「これ、美味しいですね。どこの豆使ってるんですか?」
「豆?う~ん、ブラジル…かな?」
「コーヒー豆とかわかんないし、ブランドなんてこだわってないよ」、そんな雰囲気満載に答えられた。
あるいはめちゃくちゃ豆にこだわっていて、秘密にしておきたかったのか?
今でもよくわからない。
その店は当時働いていた職場の近くにあり、たまに通っていたのだけれど、衝撃的な展開が訪れる。
2014年に消費税が8%に引き上げられ、それをきっかけに”経費削減のため”その店のランチセットでコーヒーを出さなくなったのだ。
別にコーヒーにこだわりなんて、なんにもなかったのだ。
だけど、そのコーヒーがボクにとって最高のコーヒーであることに変わりはない。
それからというもの、ブラジル産のコーヒーを色々と飲んでいるのだけれど、あのコーヒーの味に出会ったことはない。
実のところ、あのコーヒーの味は、とうの昔に忘れてしまって思い出せない。
酸味がなく、やたらと香ばしいコーヒーだった気がする。
忘れてしまったけれど、だけどあのコーヒーの味をひとくち飲めば、絶対にわかるはずだ。
「これだよ!これこれ!」って。
10年後は、20年後か、いつになるのかはわからないけれど、ふと足を運んだお店のコーヒーが”あのコーヒー”だった、そんな日が来るかもしれない。
そんな日を期待して、ボクはブラジル産のコーヒーを飲み続けるのだろう。
いろんな場所で。
人生は”焼きまんじゅう的なもの”を探す旅
三葉「朝、目が覚めると、なぜか泣いている。そういうことが、ときどきある」
瀧「見ていたはずの夢は、いつも思い出せない」
三葉「ただ、何かが消えてしまったという感覚だけが、目覚めてからも、長く、残る」
瀧「ずっと何かを、誰かを、探している」
三葉「そういう気持ちに捕り憑かれたのは、たぶん、あの日から」
映画「君の名は」より参照
先日、今さらながら映画「君の名は」を観た。大ヒットしただけあって、やっぱりめっちゃ面白かった。
あるんだよね、何を求めているのかわからないけれど、求めている、探している気持ちだけがずっと残っちゃうことが。
群馬の焼きまんじゅうを食べた瞬間に、すべてを理解したんだ。
探していたもの。
探していた気持ち。
探していたきっかけ。
きっと人生ってのは、その人にとっての”焼きまんじゅう的なもの”を探す旅なのかもしれないね。