蛭子能収著「ひとりぼっちを笑うな」を読んでみた。
そこには蛭子さんの人生観や数々の名言が散りばめられていた。
そこで、感銘を受けた名言を少しだけ紹介したい。
蛭子能収の「ひとりぼっちを笑うな」より心に残る名言を紹介します。
自分の人生の責任は自分でとる!
自分で責任を取らずに、他の誰かのせいにしたり、社会のせいにしたりするから、世の中が生きずらいと感じるんです。
世知辛い世の中を真っすぐに、自由に歩いていくためには、あらゆることを自分の責任として受け止める必要があると、蛭子さんは語る。
親からの命令、上司からの命令、社会的に良しとされるもの…そんな「やるべきこと」をやっていると、失敗した時に誰かのせいにしたくなる。
でも「自分のやりたいこと」を「自分の判断で」やっていると、たとえ失敗したとしても自分のせいだし、自分で責任がとれる。
確かに生きるためには仕事をしてお金を稼がなければならない。それはどうしようもなく「やるべきこと」だろう。だけど、嫌々ながらやっている「やるべきこと」の中にも「やりたいこと」や「好きなこと」を見つけるべきだと、蛭子さんは言っている。
そうすれば、やるべきことのなかにも、ささやかな自由がみつかるはずだ。
もしあなたが”生きづらさ”を感じているとしたら、それは親の責任なのだろうか?それとも会社の責任?あるいは国家?この時代のせいなのだろうか?
蛭子流の人から嫌われない方法!
とにかく、人が聞いてイヤだと思うようなことを言わない、イヤだと思うようなことはしない。常に、そのことを心がけて生活してきました。
つまり、もっと極論を言えば、”自ら積極的にはなにもしない”ということです。
蛭子さんは60歳を過ぎた今までの人生で、他人から嫌われたことが一度もないという。
もちろん実際に嫌っていた人はいるかもしれないけれども、蛭子さん自身が「嫌われてるなぁ…」と思ったことはない。もちろん蛭子さんが楽観的なところもあるのだろうけれども。
では、なぜ蛭子さんは他人に嫌われていないと思うのか?
それは、他人に嫌なことをしないから…というよりも、自ら積極的に何もしないから、と自己分析している。
確かに道端の地蔵を嫌う人間はいないが、果たして蛭子さんが誰にも嫌われていなかったのかというと…それは疑問だ。
蛭子さんが誰かと一緒にいるとき、それは蛭子さんという存在が”求められて”そこにいることになる。蛭子さんが誰かを誘うことはないからだ。このような受動的な人間関係を徹底的に行うと、自分を嫌いな人間は自然と周りにいなくなるだろう。もちろん、蛭子さんを嫌う人の悪口が蛭子さんに届くことはない。
人が嫌がることも、そして喜ぶことも、徹底的にやらない。
独りでいることが平気、むしろ楽しいと思える蛭子さんならではの処世術ってやつなのだろう。
友達はいらない!!
長いこと、自由であることを第一に考えていると、いわゆる”友達”と呼ばれるような人は、あまり必要ではなくなります。
ひとりで映画をみたり競艇場に行ったりすることが好きな蛭子さんにとって、友達は”自分の自由を侵害する存在”のようだ。
「自分の思っていることを、自分の思った通りに実行して、大満足の一日にしたい。至福の時を奪うのが友達ならば、むしろいなくていいんじゃないのかな」
ひとりで色々やっていることが”至福の時”である蛭子さんらしい考え。誰かと無理に遊ぶ必要はないし、無理に合わせる必要もない。友達も無理に作る必要はこれっぽっちもないのだ。
そんな蛭子さんの身近で一番友達に近い存在といえば、気兼ねなく何でも言えるマネージャーだそう。
一度蛭子さんが「友達だよね?」とマネージャーに聞いたところ「僕は蛭子さんのマネージャーであって、友達ではありません」と一蹴されたとのこと。
…それはそれで切ない!!
ニートという存在について!
それは本質的に自由ではない。自分で働いてお金を稼いでこそ、誰に憚ることなく自由でいられる
蛭子さんは自由でいること何よりも大切にしている。自由でいるためだったら、友達だっていらないくらいに。
だけれど蛭子さんは、自由を愛するのと同じくらい、誰かに迷惑をかけることも極端に嫌う。
だからこそ、誰かに迷惑を掛けながら生きるしかないニートという生き方を否定する。
そこには蛭子さんの愛する自由がないからだ。
蛭子さんは誰かと関わることも嫌いだし、積極的に働くことも嫌いだ。だけど自由を獲得するためであれば、むしろ積極的に働く。
若いころは看板屋をはじめ、ちり紙交換やダスキンの飛び込み営業も経験した蛭子さんは「お金のためと割り切れば苦ではない」と、自信をもって語っている。
「”仕事は自己表現する場”なんて思考は、よく理解できないかもしれない。それよりもなによりも、自分の自由時間の方がよっぽど大事。その自由のために働いているといっても過言ではありません」
蛭子さんは自分の人生における”優先順位”を明確にしているからこそ、迷いなく自由に生きれるようだ。
限界がきているようだったら、全力で逃げる!
「逃げる」というと聞こえは悪いかもしれない。とはいえ、自分の中で限界がきているようだったら、その時は迷わず逃げていいと思う。
蛭子さんは地元の長崎で高校卒業後に看板屋に就職した。
映画や漫画は好きだけと、明確な夢を持っていたわけじゃない。だけど看板屋で頑張って働いていたけれど、「このまま長崎にいてはダメだ」という想いが募ってきた。
ある日、若き日の蛭子さんは東京に出発することを決断する。そして出発の前日に、突然母親に東京行きを告げた。
会社にも東京行きを告げず、「大阪万博に行ってきます!」と休みを取って、そのまま東京に出てきてしまったという。
そう、蛭子さんは自分の中の限界を敏感に感じ取り、迷わず逃げた。
ブラック企業に酷使されて自殺する若者もいる中、こんな蛭子さんの様な自由な生き方こそが求められているのではないだろうか。
孤独と喪失感の関係!
孤独というのは、ある種の”喪失感”と深く関係しているんじゃないかな?
蛭子さんはこどもの頃から孤独を感じたことがなかったという。
蛭子さんの幼少の頃は、傍から見れば確かに孤独であった。父親と兄は漁師で何カ月も海に出ている。そのためほとんど家におらず、姉も就職して早くに家を出てしまい、ほとんど母親とふたりきりで生活していたのだ。
だけど少年蛭子さんはちっとも寂しくなかったし、どうやって楽しく過ごすかを毎日考えていた。
大人になった今、蛭子さんは孤独を感じない自分を振り返る。
にぎやかな家族や友人がいたとしたら、それを失うのはきっと寂しい事だろう。だけど自分にはそもそもそんなものはなかった。だったら、寂しさを感じないのも当然だと。
それともうひとつ、こどもの頃に夢中になったマンガを思い出して語った。
「僕が孤独を感じてこなかったのは、もしかしたら趣味のおかげー具体的には、マンガとギャンブルのおかげだったのかもしれない」
私たち人間は「羽根を失った喪失感」を感じることはない。それは人間に天使のような羽根が生えているわけではないからだ。
そしてそれは孤独にもいえる。
人間は無人島で独りでいるよりも、繁華街の雑踏の中に孤独を感じる。
失われた時間、失われた人間関係、そんな”失われたもの”を思う時、人は孤独を感じるのだ。
もともと人間関係が希薄であった蛭子さんは、孤独に強いパーソナリティをもっているってわけだ。
この世で一番の喜びは…
この世に生まれて一番の喜びは、自分の考えていることを実現することだと僕は考えています。考えて実現した、その瞬間こそが、生きていて一番楽しい。
そのためにはまず、自分が何をしたいのかをはっきりさせるのが大事。
蛭子さんは休日をとても大切にしている。
休みの日は、その前日に休日のスケジュールをバッチリと決めて、朝早起きしてその予定通りに過ごすという。だいたい競艇場に行く予定なんだけど。
「その日の朝目覚めたときは、もうワクワクしっぱなしで、これから始まる1日のことを考えると楽しくて仕方ない!!」
これほどまでにワクワクした休日を過ごしたことがあるだろうか?
蛭子さんにとっての一番の喜びは「自分の考えたことを実現すること」だという。
それはマンガでの表現もそうだけど、休日の予定を決めてその通りに過ごすこともそう。
心理学には「マズローの欲求5段階説」という考え方がある。人間が持つ欲求を5段階に評価したものだ。
1段階目の最低レベルの欲求が生理的欲求。つまり食欲・性欲・睡眠欲などの動物的欲望を満たすこと。
2段階目が安全欲求。命の危険なく生活したいという欲求だ。衣食が足りないと、礼節を知ることもない。
3段階目が社会的欲求。集団に参加したりして、みんなと交流を持ちたいという欲求。
4段階目が尊厳欲求。誰かに認められたい、褒められたい、尊重されたい、尊敬されたいという欲求。
そしてもっともハイレベルな5段階目の欲求が自己実現欲求。いうなれば、自分を表現することへの欲望だ。
つまり蛭子さんの「考えを現実化することへの喜び」は、もっとも高次元の欲求と言っていいのではないだろうか。
蛭子さんは、楽しく生きるには「自分が何をしたいのかをはっきりさせるのが大事」とアドバイスしている。蛭子さんのようにハイレベルの欲求を満たすには、自分が自分の人生に求めていることと、真っ正面から向き合う必要があるってわけだ。
せっかくの休日なのにヒマだったり、何をしていいのかわからないなんて感じていたら…自分の内面を見つめ直す必要があるのではないだろうか。
けっこう感動する「ひとりぼっちを笑うな」
というわけで、蛭子能収著「ひとりぼっちを笑うな」を読むと、蛭子さんが孤独と自由を愛している奔放な人物であることがよくわかる。
だけれど、そんな蛭子さんがどうしようもなく孤独を感じたときがあった。
愛する妻が亡くなった時だ。
人の葬式に出席しても笑いをこらえられない蛭子さんが、妻の葬式の最中も、その後も、涙が溢れて溢れて止まらなかったという。
そこで蛭子さんは人生で初めて、どうしようもないくらいの孤独を知る。
そして気づく、妻がいてくれたからこそ、自分は孤独を感じていなかったのだと。
蛭子さんがひとりぼっちでも平気だったのは、実はひとりぼっちではなかったからなのだ。
そこらへんのエピソードは、是非とも「ひとりぼっちを笑うな」を手に取って読んでみて欲しい!!