「人が生きていく意味ってあるのだろうか?」
「どうせいつか死ぬのに、自分が生きている意味ってなんだろう?」
だれもが一度くらいは考えたことがあるだろう。
そこである人はこう答える。
「人間は、いや動物は子孫を残すために生きているんだよ。君も家庭を持ち、こどもを作りなさい!」
…まあ、理解できる。でもなんとなく「なるほど!そうだったのか!」と納得できない。
ある人はこう答える。
「君が死んだら悲しむ人がいる。そんな人のために生きることこそが”意味”なんじゃないのかな?」
…そんなん聞いても「そうか!家族や友人、ひいては人類全体に尽くすために生きよう!」なんて思えない。
ある人はこう答える。
「人生に意味なんてないんだよ。生きる意味について悩むなんて無意味さ!」
それに対して「そうか人生に意味はないんだな。意味はなくても生きなければいけないんだ」なんて考えにはなれない。
なぜか?
それはそれらの回答が、悩んでいる人が求めているものに対して微妙にズレた答えになっているから。
「お腹が空いたよ~」
と言ってる人に対して、「はい、どうぞ~!」とおむすびの写真を渡されるような、そんな感じ。
見た目は美味しそうだけど食べられない。
では、「生きる意味に悩んでいる人」が本当に欲しがっている回答とは何なのだろうか?
「人生に意味はある」という考え方の欠点
「人は誰かに貢献するために生きている」
「自分が幸せになるため(快楽を得るため)に生きている」
「金持ちになるために生きている」
「こどもを立派な大人にするために生きてる」
「子孫を、自分のDNAを後世にのこすために生きている」
「死んだら悲しむ人のために生きている」
これらの意見は、すべて”人生に意味がある”という意味で一緒。
このような考え方は、残酷なまでに”生きる意味がまったくない人”を生み出してしまう。
世の中の誰にも貢献していない人。
死んでも誰も悲しまない人。
一生涯貧乏な人。
こどもを持てない人。
引きこもりだったり、天涯孤独で家族がいなかったり、先天的な病気や障害だったり、性的マイノリティだったり、貧困国の貧困層だったりと、理由は様々。
極論を言えば、家族や友人がいない末期がんで明日死ぬ人の「今日生きる1日」はあらゆる意味で無意味ということになる。
医療費、消費する酸素、使っているベッド、摂取する栄養、すべてが無駄だ。
でも、果たしてそうなのだろうか?
人生に何らかの意味がある、そんな考え方は「明日死ぬ人の今日」を、「何気ない何も起きなかった1日を」、そして「生きる意味がないと感じる意味のない自分」を否定する考え方に思えてしまう。
「人生に意味はない」という考え方がもたらすもの
「人生に意味がある」という考え方は「人生に意味がない人を生み出す」というヘンテコな矛盾。
それを考えると、「人生に意味なんかないよ」という考え方の方がよほど健全に感じる。
人生に意味はない。
むしろ意味がないからこそ価値がある。
よく考えると、人生って意味がなければないほど楽しい。
人間が生み出した楽しみのほとんどは、実はまったく意味のないこと。
スポーツもテレビゲームも小説も映画も旅行も。
もし「意味のあること」と「意味のないこと」のどちらかを選ぶとしたら、少しでも意味のないことや価値のない方を選ぶ。
それが人生を楽しむコツ。
「意味のある人生」を送っていればいるほど、人生はつまらなくなるし、生きている価値もなくなってくる。
「人生に意味がある」という考え方は「人生に意味がない人を生み出す」という矛盾と同じ。
「意味がない人生」を送っている人は「意味のある人生」を送っているというヘンテコな矛盾。
だからこそ、家族や友人がいない末期がんで明日死ぬ人の「今日生きる1日」ですらも「輝かしい無意味な1日」になるわけだ。
でも、「生きる意味がないんだよね…」と悩む青少年に対して
「君は正しい!人生に意味はない、だからこそ楽しんで自由に生きようぜ!」
と言っても、な~んか納得してくれない。
それはなぜか?
生きる意味がわからない人が本当に求めていること
生きる意味がわからないと悩んでいる人は、本当の意味で「生きる意味」を知りたいわけじゃない。
だから「人は○○のために生きてるんだ」とか「人生に意味はないよ」なんて答えに納得できない。
では何を求めているのか?
それは前向きに生きるための動機付け(モチベーション)だ。
生きるための意欲が増すなにか。
”生きる意味”なんて壮大で哲学的な問いではなく、これからをタフに生き続けていくための活力みたいなもの。
生きる意味なんて考えちゃうと、どんどん考えが壮大になっていくし、視点がマクロになっていく。
そうなると思考の袋小路に陥ってしまうし、どんどんリアリティや生活感がなくなってしまう。
でも、「生きる意味」を「前向きに生きるための動機付け」というレベルで考えると、「美味しいラーメン屋をみつけて食べに行くこと」「友達と無駄話をすること」「年末に実家に帰ること」「お風呂に入浴剤を入れてゆっくり入ること」「週末にマッサージに行くこと」なんてことすらもりっぱな生きる意味になってくる。
お腹がペコペコ状態の”心”に対する栄養的な。
元気が出るなにか。
歩き出すためのなにか。
大好きなアイドルとかYouTuberとか、毎週観てるドラマとか、夕食の後に食べるデザートだって心の栄養になる。
もちろん辛いこと、苦しいことから距離を置いて、しっかり休むのも大事だけど。
「前向きに生きるための動機付け」は人それぞれ。
だから自分なりの「前向きに生きるための動機付け」を探さなきゃいけない。
それは誰かに相談して得られる答えの中には絶対にない。
難しいけれど、まずは日常の中でちょっとでも楽しいと感じる時間を大切にすることから始めてみるといいかもしれないね。