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”受け入れる”ことと”諦める”ことの違いとは?「まあ、いいか」と思うことの大切さについて

2018年10月5日

私は辛いことや不条理なことが起きた時、「まあ、いいか」と思うことがよくある。

ひとくちに「まあ、いいか」といっても、「ま、いっか!」の時もあれば、「まあ、いいかぁ~」の時もあるし、時には「まあ、いいか…」の時だってある。「まあ、いいや」の時だって、もちろんある。

このように「まあ、いいか」にはいろんな意味が込められているのだけれど、少なくとも私にとって「まあ、いいか」はネガティブをポジティブに切り替えるための魔法の言葉のひとつだ。

 

ある日、うつ的な精神状態でどーしよーもなく悩んでる人に「まあ、いいかって気楽に思うのも大事だよ」と言ってみたところ、意外な言葉が返ってきた。

 

「それって、諦めるってことじゃない?」

 

物事を「まあ、いいか」と思うのは、「諦めること」と同じ。

今まで気づかなかったけど確かに似ている!!

だけど、私が使っている「ま、いっか」は物事を諦めることじゃない気がする。

だとしたら何か?

一番近いニュアンスなのは「あらゆる出来事をそのまま受け入れること」だと思った。

 

「諦めるっていうより…嫌な自分とか、環境とかを受け入れることだよ」

「…よくわからない」

 

うん、おれもよくわからん。

 

諦めるってことと、受け入れること。

似ているけれど、ちょっとだけ違う。

 

自分の欠点を”諦める”と成長は止まるけど、”受け入れる”ことができれば、それは成長するきっかけになる気がする。

他人との関係を”諦める”とその人とは険悪になるけど、他人の存在を”受け入れる”とその人との関係は良くなるような気もする。

 

諦めることと受け入れること、その違いとは何なのだろうか?

諦めることと受け入れることの違いとは?

まず最初に私が考えた結論を。

諦めることは、自分の影響力の範囲内での状況を放棄すること。

受け入れることは、自分の影響力の範囲外の事象を認めること。

だと思う。

これが「諦めること」と「受け入れること」、その違いについて私個人が考える結論だ。

これだと何が何だかよくわからないので、もう少し詳しく説明しよう。

 

自分を取り巻く世界は大きく2つに分類される。

「自分の影響力の範囲内にあるもの」と「自分の影響力の範囲外にあるもの」だ。

自分の影響力の範囲内にあるもの

  • 着ていく服や履く靴
  • 今日のランチに食べるもの
  • 帰宅するときに近道をするか寄り道をするか
  • 付き合う友達や恋人
  • 進学する大学や、働く場所
  • 生きること、そして死ぬこと

「自分の影響力の範囲内にあるもの」とはつまり、「自分の行動や思考で変えられるすべて」ということになる。

自分の影響力の範囲外にあるもの

  • 自分の生まれ育った国
  • 性別
  • 見た目の美醜や体格
  • 他人の性格や行動
  • 家族構成
  • 生まれつきの体質や病気、障害
  • 今日の天気や突発的な災害

「自分の影響力の範囲外にあるもの」とはつまり、「自分ではどうすることもできないことのすべて」ということになる。

 

もちろん、この2つは明確に区別すること難しい。

世の中には”変えられること”を自分の影響力の範囲外だと思い込んで苦しんでいる人もたくさんいるし、逆に”変えられないこと”を自分の影響力の範囲内だと思い込んで苦しんでいる人もたくさんいる。

(特に他人の性格や行動を”自分の影響で変えられるもの”と勘違いすることは、人間関係における苦しみや悲劇のもとだ)

 

とにかく、世界はふたつに区別されるわけだけど、それを踏まえて「まあ、いいか!」の意味を考えてみるとわかりやすい気がする。

 

例えば部活で陸上の100メートル走をめちゃくちゃ頑張っている若者がいたとしよう。

どんなに頑張っても頑張っても、どうしても記録が伸びない!!

そんな時にその状況に絶望して”諦めたら”どうなるか?

もう努力することもなくなるだろうし、きっと練習に参加することもなくなるだろう。

諦めてしまったら、自分の影響力の範囲内にあるすべてを放棄するしかない。

 

では、頑張っても記録がでない自分を受け入れたら?

きっとその時から、新しいスタートが始まる。

100メートル走で記録がでないのは体格のせいかもしれない。練習方法が間違っていたのかもしれない。

自分の間違いや欠点を受け入れることで、また違う視点が見えてくる。

それはひょっとしたら違う競技に切り替えることかもしれないし、練習の方法を抜本的に見直すことかもしれない、新しいコーチに指導を頼むことかもしれない。

とにかく”受け入れる”ことは、次の行動につながるポジティブな意味合いがある。

 

例えばすっごくムカつく友達がいたとして、その友達のと関係を「まあ、いいか」と諦めることと「まあ、いいか」と受け入れること。

子育て中の親がまったく言うことを聞かない子どもに対して、「まあ、いいか」と子育てを諦めることと、「まあ、いいか」と受け入れること。

全然家事を手伝わない旦那に対して、「まあ、いいか」と諦めることと、「まあ、いいか」と受け入れること。

すべて同じ。

安西先生が言うまでもなく、諦めたらそこで試合終了だ。

その関係はもうそれ以上よくはならない。

 

だけど、相手の”そのまま”を受け入れたら?

きっと相手ではなく自分が変わるきっかけになるだろう。

それは自分の影響力の範囲内にあるものに焦点を当てるということでもある。

変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ

ラインホールド・ニーバー

「まあ、いいか」と物事を受け入れたとき、有名なこの名言が指し示すように、変えられるものを変える勇気が必要になる。

その”勇気”は”諦め”の正反対にあるものではないだろうか。

「まあ、いっか~」と思って気楽にいきましょう

正直なところ、「まあ、いいか」には諦めること、そして受け入れること、そのふたつが絶妙にブレンドされている。

すべてを受け入れるなんて、とてもじゃあないが出来ることじゃない。

それどころか、もっとネガティブな要素だってふんだんに配合されている。

受け入れる。

諦める。

面倒くさい。

負け惜しみ。

自己正当化。

そんなマイナスな要素がありつつも、それらをすべてなんとな~くポジティブに変換してくれる、そんな力が「まあ、いいか」にはある。

…と思っている。

 

世の中には「まあ、いっか」と思わざるをえないことが、そりゃあもうたくさんある。

それらを「まあ、いっか」と思えれば、きっともっと生きるのが楽になれるはずだ。

 

そういえば「まあ、いっか」は、何となくバカボンのパパの「これでいいのだ!」とも近いニュアンスを持っている。

だけど「これでいいのだ!」ほどの圧倒的な受容感、肯定感はない。

バカボンのパパほど天才的で楽天的でなくても気軽に使えるのが「まあいいか」のいいところ。

是非とも心の健康のために多用してみて欲しい。

 

特に真面目で勤勉でストレスに弱いタイプの人。

普段から「まあ、いっか」と心の中で思えば、もう少し気楽に、適当に生きれるのではないだろうか。

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