宿曜道(すくようどう)という秘術を知っているだろうか?
知らないのも無理はないだろう。
宿曜道は古代バビロニアに起源をもつといわれる占星術のひとつ。
そのあまりの的中率に、江戸時代に徳川幕府によって封印されたという歴史を持つ。
恐るべき宿曜道とはなんなのだろうか?
恐るべき的中率を誇る占い「宿曜道」の歴史
宿曜道のルーツは、今から4000年も昔の古代バビロニアにあるといわれている。
バビロニアはメソポタミア地方の南部を占める地域。メソポタミア文明が、謎の民族であるシュメール人によって興されたが、そのシュメール人が衰退していき、次に周辺を支配して栄えたのがバビロニア王国だ。
古代バビロニアでは現代にも負けないくらいの高度な天文学があり、黄道12星座もこの時代にすでに発見されている。
このバビロニアで生まれた天文学や占星術がインドに伝わり独自に発展する。
それから数百年ののち、中国から不空三蔵という僧侶が訪れ、インドの占星術の秘伝を中国に持ち帰る。それをまとめたものが「宿曜経」であり、宿曜経を駆使した吉兆占いが「宿曜道」だ。(ちなみに不空三蔵は玄奘三蔵とは別人だよ!)
不空三蔵の死後、宿曜道の秘伝は弟子に受け継がれるが、その弟子の元に空海が訪れて宿曜経を日本に伝える。
つまり秘術である宿曜経と宿曜道は、真言密教の開祖である弘法大師・空海によって日本にもたらされたのだ。
まとめると「古代バビロニア→インド→中国(唐)→日本」と、宿曜経の秘伝は伝えられたことになる。
秘術である宿曜道は「物事の吉兆と良し悪し」を凄まじい精度で占うことができたといわれている。
その凄まじい力から、宿曜道を操る僧のことを「宿曜士」と呼び、当時隆盛を極めた陰陽道を操る「陰陽師」とは勢力を二分するライバル関係にあった。
そうして次第に武家社会から戦国時代に突入すると、宿曜経は軍事利用されることとなる。
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あまりの強力さに封印される宿曜経
三国志に登場する諸葛亮孔明、源平合戦の源頼朝、戦国時代の竹中半兵衛、真田幸村、斎藤道三、武田信玄、織田信長…。
歴史に登場し、数々の戦場で勝利を収めてきた武人たちは、その戦略に宿曜道を利用したといわれている。
もちろん、戦国時代を統一した徳川家康も例外ではない。
家康の側近である南光坊天海は.も凄まじい宿曜士だったといわれ、徳川太平の世に宿曜道を活用したといわれている。
宿曜道を利用してきた軍師たちの活躍をみれば、宿曜経と宿曜道の恐ろしさがわかるだろう。そしてそれを最も肌に感じていたのが、徳川家康本人であった。
家康は宿曜経により徳川幕府の安定が崩されるのを恐れ、その使用をいっさい禁止とし、宿曜道を封印してしまう。
それ以降、宿曜道は歴史の表舞台から消え去る。
陰陽師は知っていても、宿曜士は誰も知らない。
その理由は、宿曜道があまりに強力なため、江戸時代に封印されたという過去があるからなのだ。
…そして再び宿曜経と宿曜道が復活したのが、明治以降になってから。
宿曜経は「宿曜占い」や「宿曜占星術」といった平和的な占いとして再び世に出ることになる。
宿曜占い(すくよううらない)とは?
宿曜占いは生年月日により、その人を27種類の”宿”に分類する。
この宿によって、それぞれ性格や対人関係、運勢などが違ってくる。
さらにこの”宿”は、12種類ある”宮”のどれかに分類されていて、その宮の影響を受けている。
12宮は黄道12星座がそのまま使われているので、宿曜占いは12星座占いととても良く似ている。12星座占いをさらに27種類に細分化したイメージだ。
*自分の”宿”はなにか?宿曜占いはこちらのサイトでできるよ!
ちなみに私の宿は「底宿」(ていすく)であった。
野心家で気が短い人が多い。豪快。エゴイストなんだけど周りに嫌われない人気運を持つ。度胸があり、バイタリティーがあり、よくしゃべる。
…う~ん、そんなパワフルな人間じゃないんだけどな。
宿曜士は絶滅したのか?
江戸時代に封印された宿曜経であるが、それほど強力な力を持っていたとしたら、権力者がその力を使わないわけはないだろう。
徳川の江戸幕府も世の中には使用を禁止したものの、その中枢では太平の世を守るために宿曜道と宿曜士を暗躍させていたのではないだろうか?
江戸時代の幕府で宿曜士が活躍していたからこそ、争いもなく260年の太平の世が続くという、世界的に見ても稀な快挙を成し遂げることができたのかもしれない。
そしてそれが明治維新以降の政府にも受け継がれていたとしたら?
ひょっとしたら今も、国家公務員としての宿曜士が暗躍している…かもしれない!!