お金よりも時間を、時間よりも思考を大切にしよう。
「時は金なり」
というアメリカの政治家ベンジャミン・フランクリンの有名な言葉がある。
時間はお金と同じくらい貴重だから、無駄に消費しないようにしよう!!
そんな意味の格言だ。
この格言では「時」と「時間」イコールの関係になっているが、本質的には時間はお金よりも大切にしなければならない。
わたしたちが生きている時間は有限であり、それはほとんどの場合お金では買えないのだから。(世の中の大金持ちは時間をお金で買える数少ないタイミングで惜しみなく大金を払う。飛行機のファーストクラスに乗るとか、家事をメイドにまかせるとか)
しかし、時間よりも思考を大切にしなければならない、という話はあまり聞いたことがない。
わたしたちは平等に配られた1日86,400秒を消費して生きているが、その中で考えらえること、思考することができる量もまた有限である。
当たり前すぎて忘れがちな真実なんだけど、人間は2つの物事を同時に考えることができない。
まあ、聖徳太子とかすっごい天才なできるのかもしれないけど。
今日の夕食の献立を考えながら、明日の仕事の段取りを考えることができない。
映画を観ながらフッと不安なことを考えると、セリフが入ってこない。
掛け算の4の段と7の段を同時に計算することもできない。
右手で文字を書きながら、左手でスマホを操作できないように。
世の中の成功者の中には、日常生活の中の「無駄な思考」を徹底的に排除している人もいる。
スティーブ・ジョブスはいつもジーンズに白いTシャツだった。
これは「今日何を着るか」という無駄な思考を排除した結果だ。
もちろん、ファッションにこだわりのある人にとって着る服を選ぶのは大切な時間だけれど、ジョブスはそれに価値を置かず、その思考を排除した。
仕事におけるマニュアル化もまた、ミスを減らすのと同時に、思考プロセスを簡略化する方法として有意義だろう。
とくに注意したいのが、日常の中に潜む思考の無駄だ。
ネットでの炎上などは、その最たる例だろう。
「他人の悪口を考える」
「芸能人の行為にムカついたりイライラする」
「見知らぬ人に反論を考える」
「考えてもしょうがないことを考える」
「ネガティブな過去を思い出す」
「他人と比べて劣等感を感じる」
これらは自分の人生にとって本当に必要な思考なのだろうか?
もし必要じゃないと感じたのなら、それらをまとめて思考の外側に押しやった方がいいだろう。
もちろん、じゃあ起きてる時間はずっと思考しているのがいいってわけじゃない。
ボーっとする時間も大切。
無意識は常に何かを感じ、考えているのだから。
ただ自分の中で意識的に考えることを取捨選択し、自分とって無駄な思考を排除した方が幸せに生きることができるという話。
「服の選択」という思考を排除したジョブスのように。
お金があるか、ないか。
時間を有意義に使うか、無駄に使うか。
よりも、限りある「思考という脳のプロセス」をどう使うかの方が、人生にとって遥かに重要なのではないか。
思考の断捨離、とても言おうか。
より自分らしく生きるために、まずは自分にとって邪魔な思考や必要ない思考を排除してみよう。
そうすれば、よりスッキリと、ポジティブに、健康的に生きられるのではないだろうか。