ピザ・マルゲリータといえば、どこのイタリアン・レストランにも置いてある代表的なピザだ。
このピザ・マルゲリータが誕生した時代のイタリアにおいて、顔や生い立ちがそっくりの2人の男が奇妙な死を遂げた。
運命を信じざるを得ない、その不思議な都市伝説を紹介しよう。
ピザ・マルゲリータの旦那さんはイタリアの王様!!
まずは、ピザ・マルゲリータの誕生秘話について語ろう。
時は19世紀のイタリア。
イタリア王国が誕生して間もないその国では、ピザの大好きな女王様がいた。
その名も、マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァ。
そう、ピザ・マルゲリータは彼女の名前が由来なのだ。
ピザ・マルゲリータは緑のバジリコと白いモッツァレラチーズ、そして赤いトマトで作られる。これはイタリア国旗の3色をイメージしたといわれ、ナポリのピザ職人がマルゲリータ王妃と旦那さんで王様のウンベルト1世をもてなすために考案したといわれている。
「めっちゃ美味いやん!」と、このピザに感動した王妃。そこから、このピザが”ピザ・マルゲリータ”と呼ばれることになったのだ。
さて、今回の主役はピザ・マルゲリータではなく、マルゲリータ王妃と一緒にピザを食べていた旦那さんの王様”ウンベルト1世”だ。
ウンベルト1世とマルゲリータ王妃(画像:ウィキペディアより)
ウンベルト1世の死にまつわる不思議な話
ある日、ウンベルト1世は、お抱えの将軍と共に北イタリアのモンツァという街に訪れていた。この地で行われる競技大会に出席するためだ。
競技大会前日の夜、ウンベルト1世が近くのレストランで側近たちと食事をしていた。その時の事だ、オーダーを取りに来た店の主人と自分が瓜二つのそっくりな顔立ちをしているのに気付いた。
驚いたウンベルト1世は、その主人と話をしてみることにした。すると、共通点は顔だけではなかった。
その主人も名前はウンベルトであった。
生年月日も1844年3月14日午前10時30分とまったく同じ。
生まれた場所も同じトリノ。
結婚した日も1866年4月2日で同じ。
さらには奥さんの名前も一緒のマルゲリータ。
息子の名前もヴィットーリオと一緒。
さらにはこのレストランをオープンさせた日も、1878年1月9日と、ウンベルト1世がイタリア王に即位した日と一緒だったのだ。
たぶん、奥さんのマルゲリータもピザが好きだったに違いない。
顔も一緒、生まれた日をはじめとして、様々な共通点がある2人は意気投合し、ウンベルト1世は翌日に行われる競技大会にレストラン主人のウンベルトを招待した。
悲劇は翌日に起こった…
翌日の競技大会。ウンベルト1世はウンベルトのことを心待ちにしていたが、一向に会場に現れない。
そこに側近が大急ぎでやってきて、ウンベルト1世に耳打ちした。
「ウンベルト氏はここには来ません。今朝、銃の手入れをしていたところ、銃が暴発して亡くなってしまったのです…」
絶句するウンベルト1世。
その瞬間、競技大会会場に銃声が鳴り響いた!!
テロリストの銃弾を浴びたウンベルト1世は、そのまま息を引き取った。レストラン主人のウンベルトと、死因や死んだ日までまったく一緒であった…。
同じ星のもとに生まれたふたり
これがふたりのウンベルトに巻き起こった、奇妙な運命の顛末だ。
ウンベルト1世とそっくりなレストラン主人が実在したのかは不明。ただの尾ひれのついた作り話かもしれないが、少なくともウンベルト1世がモンツァの街で銃弾に倒れたのは確かな史実だ。
自分とそっくりのドッペルゲンガーに出会うと死んでしまうという伝説があるが…レストラン主人はウンベルト1世にとってのドッペルゲンガーだったのだろうか?
その真相はわからないが、2人の男がまったく同じ日時に生まれ、同じ名前をもっていたとしたら、星占いも、名前占いも、動物占いもまったく一緒の結果になっていたはず。まさに同じ星のもとに生まれたということ。
だとしたら、その死にざままでも同じ運命をたどったのは必然だったのかもしれない…。
これからピザ・マルゲリータを食べるときは、ちょっとした会話のネタにこの話をしてみよう。相手から変な目でみられること請け合いだ!!
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