事実と真実とは何が違うのか?
じじつ【事実】
1.実際に起こった、または存する事柄。
「予想した災害が起こったという―をどう見るか」
2.《副詞的に。「…は事実だ」との気持から》 本当に。
「―そういう結果になった」
しんじつ【真実】
1.うそや飾りのない、本当のこと。まこと。
「―を語る」
2.《副詞的に》 本当に。まったく。
「―困った話だ」
辞書的に解釈すると、事実は”実際に起こったこと”であり、真実は”嘘じゃない本当のこと”であるという。
わかりにくいけど、同じように見えて大きく違う。
事実はシンプルに「実際に起こったこと」であり、真実は「実際に起こったことを受けてその人が思った本当のこと」なのだ。
その違いのわかりやすい具体例を紹介したい。
先日、youtubeで宮迫博之と千原ジュニアの対談を観たのだけれど、その中で印象に残った会話を”真実と事実の具体例”として抜粋して紹介したい。
千原ジュニアが宮迫とたまたま酒の席で一緒になったときのことだ。
ジュニアはいろんな人から「宮迫が酒の席で自慢話ばっかりする」という噂を聞いていた。
それが実際に飲み会で一緒になると、その噂が本当であるばかりか、実際には噂以上にすごかったという。
「(自慢話)2時間超えてるで!
宮迫博之が語る宮迫伝説!」
そう語る千原ジュニアに対して、宮迫博之はこのように返した。
「例えば、昨日なにしてましたって、ジュニアもあると思うけど、こんなドラマに出てこんな人とそのあと飲みに行った、って話を、例えばするやん。
それを後に、自慢話をされたって
えっ!?
聞かれたから答えただけ。
普通にあったことを言ったのに自慢話にされるいうのを、のちにテレビ番組でけっこう言われたことがあって。
ジュニアみたいに、それをちゃんと笑いとしてウケてくれたらいい。
(笑いにする)その能力もないのに、自慢されたってことを言われて…客にへぇ~って言われる俺の気持ち。
お前らが聞いたからオレは言うただけ。
昨日誰と飲んでた?
唐沢寿明。
自慢話された。
なんやそれ!
飲むよそりゃ、知り合いなんだから」
「昨日なにしてました?」と聞かれて「唐沢寿明と飲んでたよ」と答えた。
これがまぎれもない事実だ。
この事実に対して宮迫博之の真実は「聞かれたから答えただけ」であり、後輩の真実は「自慢話を聞かされた」となる。
ここか面白いんだけど、宮迫氏はまったく嘘を言っているつもりはないってこと。
ただ宮迫氏の中の真実が周りの人たちの真実とかみ合っていないだけで。
(ほんとは宮迫氏も「聞かれたことを話してるだけ」なんて本気で思ってないし自分が自慢話大好きって自覚はあるのだろうけど)
真実とは事実を捻じ曲げた解釈であり、その人にとっての真実は誰かにとっての噓なこともある。
わたしたちは真実の積み重ねでで出来ていて、それが事実を反映しているわけではないわけだ。
噓を噓と見抜く方法は?
世の中は嘘にまみれているけれども、事実と真実の違いが判ると、その嘘にも2種類あることがわかる。
①人をコントロールしようとする嘘
②自分の真実と違う他人の真実
「人をコントロールしようとする嘘」を見抜くには、事実に目を向ければいい。
なにが「本当に起こったことなのか」をしっかり調べる。
しかもなるべく事実に近い情報源から。
”噂話を語った人”よりも”その噂を最初に話し始めた人”、それよりも”噂の当人”の話を聞く。
ネットの記事よりも、その記事が参照したニュースを、そのニュースよりもそのニュースの当事者を調べる。
「○○が健康にいい」という記事であれば、そのエビデンスとなる研究や論文を調べる。
たしかに事実に近づくのは難しいけれど、「なるべく事実に近い情報源で裏を取る」という心がけを守れば、悪意のある嘘に騙される確率も減るだろう。
次に「自分の真実と違う他人の真実」について。
これは変な話だが、嘘を嘘と見抜かないようにするのがいいだろう。自分に実害がない限りは。
なぜなら自分にとっては嘘に見えたとしても、その人にとっては真実なのだから。
わたしたちの知識や常識は真実の積み重ねで構成されている。
そしてその真実が、自分にとってだけの真実であることを自覚する。
自分が信じていることや常識が絶対的ではないと思えれば、そこに謙虚さが生まれ、相手を尊重する気持ちが生まれる。
「1+1は2かもしれないが、努力すれば10にも100にもなるんだ!!」
と熱く語る人に対して(どう考えても1+1は2だろ。世界中のどこで計算しても同じ”事実”だぜ…)と冷ややかに思ってしまう。
しかし自分の中で1+1は2だったとしても、その人にとっては1+1は100かもしれない。
それでいいのだ。
自分は1+1は2だと信じていれば。
嘘を嘘と判断せずにそのまま受けいれる。
そして自分の真実を曲げない。
それが大切なのではないだろうか。
まとめると…
人をコントロールしようとする嘘には「事実に近づく」ことが大切で、自分の真実と違う他人の真実は「自分の真実を大切にしつつも他者の真実をそのまま受けいれる」のがいいんじゃないだろうか。
事実に近づくのも、他者の真実をそのまま受け入れるのも、かなり難しいのだけれどもね。