世界で最も有名な忍者の二大勢力といえば、「伊賀」と「甲賀」だろう。
この伊賀と甲賀が歴史的和解の末、手を結び、2月22日を「忍者の日」と制定したのを知っているだろうか?
忍者の日!!
いったい何が行われるのだろうか?
忍者の日とは!?
2月22日は「ニン!ニン!!ニン!!!」という事で忍者の日!
日本全国に散らばる忍者の末裔たちのフェスティバルが開催される。
忍者の日は、伊賀と甲賀のふるさとである、現在の三重県伊賀市と滋賀県甲賀市が連携して企画したもの。世界的にも圧倒的な知名度を誇る「忍者」というコンテンツを更に広め、経済を活性化させる狙いがあるのだろう。
- 「忍者の町めぐり」ニンニンツアー
- 忍者の里で忍者料理を食べて忍者体験しよう
- 伊賀の観光施設で 忍にん体操を踊ろう!
- 現代に通じるリアル忍者修行ツアー
忍者をテーマにした様々な企画が考えられている。
忍者修行ツアー!?
日本人として、一度は体験してみたいツアーだ。
伊賀忍者と甲賀忍者の歴史を簡単に説明
では、伊賀忍者と甲賀忍者の歴史を約3行で説明しよう。
伊賀忍者は金で契約し、あらゆる任務を遂行する冷徹な忍者集団だ!依頼主が敵対していれば、伊賀忍者同士でも刀を交えるという。そんな伊賀忍者の里は織田信長によって焼き討ちに合い、大敗を喫する。その為、伊賀忍者は織田信長や豊臣秀吉とは対立関係にあった。しかし伊賀の服部半蔵が徳川家康を助けたこともあり、徳川に世になった時に多くの伊賀忍者が家康の家臣となったという。
甲賀忍者は近江六角氏の傘下であり、伊賀と違い主従関係を重んじた忠義に篤い忍者集団だ!しかしながら甲賀忍者は独立性の高い忍者集団であり、六角氏の支配も及ぶところではなかったという。六角氏に対して室町幕府が攻め入ってきた時も、甲賀忍者は命を賭して戦った。そして圧倒的戦力差ながらゲリラ戦を繰り返して幕府軍を苦しめたのだ。その時に活躍したのが「甲賀五十三家」と呼ばれる部隊だ。その後、甲賀忍者は織田信長の配下になり、そのまま豊臣秀吉の元で暗躍する。
信長亡き後の豊臣秀吉の時代。秀吉の忍である甲賀は、徳川家康の監視を命じられる。対して家康側の配下には、手練れの伊賀忍者がいる。こうして甲賀忍者VS伊賀忍者というライバル関係の図式が完成するのだ!!
忍者の日に向けて甲賀忍者の末裔アンケート開催!
滋賀県甲賀市が市民を対象に、忍者の子孫かどうかを尋ねるアンケートを実施している。
そのアンケート対象は、かつて室町幕府と戦った甲賀の名家「甲賀五十三家」と同じ名字を持つ市民。
- 忍者の末裔ですか?
- 手裏剣や巻物などゆかりのものが伝わってませんか?
- 今の職業はなんですか?
忍者の末裔たちはどんな生活をしているのか?手裏剣や忍術の記された巻物は子孫代々伝わっているのか?
実に興味深いアンケートだ。
その結果は忍者の日の前日である2月21日に開催される、「甲賀流忍者復活祭」で発表するという。楽しみやで!
あなたの街でも忍者祭り
ミステリアスで実態のつかめない忍者という存在は、世界中を魅了してやまない。
「私の曽祖父は伊賀忍者の頭領でした」
「僕は甲賀忍者の末裔ですよ」
…うらやましいっ!
三重県伊賀市や滋賀県甲賀市に遊びに行ったら、道行く老婆やコンビニのバイトまで「忍者の末裔たちか!?」と思ってしまうかもしれない。
2月22日忍者の日に合わせた忍者イベントは、伊賀・甲賀地方を中心に、全国で行われるようだ。
もしかしたら2月22日に近くの街で忍者祭りが開催されているかも!?