親を殺した憎き敵(かたき)を探し、仇討の旅に出る姉と弟…。
諸国放浪の末に見つけたその相手は、旅の途中で命を救われた恩人だった!!
…な~んて。
仇討ちは、その悲しき心情や結末のカタルシスから、物語や時代劇の題材にされることが多い。
でも、江戸時代に実際に行われていた仇討ちは、物語の中のドラマティックな展開とはひと味違ったもののようだ。
面白くも恐ろしい、仇討ちのめっちゃ厳しいルールを紹介しよう。
仇討ちは目上の血縁者が殺害された時だけしかできない!!
「仇討ち」は江戸時代の制度化された復讐システムだ。
殺人を目的とするために、むやみやたらと仇討ちを認めるわけにはいかず、その運用にはとんでもなく厳しい制限が課せられた。
まず、仇討ちが認められる対象からして厳しい。
両親や兄などの血縁の中でも目上の人物が殺された場合には仇討ちできる。だけど、妻や子供、弟や妹のためには仇討ちは認められていなかった。
つまり奥さんを殺された武士は、仇討ちできなかっのだ。
また、自分の使える主君が殺害された場合も、血縁関係がないので仇討ちは認められない。
有名な仇討ち物語に「赤穂浪士」があるが、あれは主君の仇討ちに武士たちが決起する話。これ、ストーリーがカッコよすぎて曖昧になってるけど、完全に犯罪。
赤穂浪士の仇討ちはルールを無視したダメダメなものなのだ。
そんな仇討ちシステムは治安維持にも一役買っていた。
江戸にはたくさんの人々が暮らしていたが、それに対して犯罪を取り締まる岡っ引き的な存在が圧倒的に不足していたという。
もし江戸時代に殺人事件が起きた場合、その犯罪者を取り締まるのは奉行所。
今の警察と同じシステムだ。
だけど、江戸幕府は慢性的に人材不足、しかしその加害者が行方不明になってしまったら…。
奉行所はわざわざ犯罪者を探すために人員を割くことができない。でも、殺した奴はのうのうとどこかで生きている。
…許すまじ!!
そんな時に限り、その血縁者に仇討ち…つまり「殺しのライセンス」が付与されるのだ!
仇討ちはガチンコの決闘で行われた!!
仇討ちは決闘で行われる!
しかしある意味で公平な側面もあり、敵(かたき)とされる側にも、これを迎え撃つ正当防衛が認められている。
敵討ちの決闘で復讐者に加害者が勝利した場合には「返り討ち」と呼ばれる。
「返り討ちにしてやるわぁ~”!!はははは!!」
なんて使われる”返り討ち”という言葉は、仇討ちから来ていたわけだ。
また、決闘がキツい女子供のために、ちゃんと助太刀システムも完備してある。
しかし、助太刀するにも奉行所への届け出が必要と、なんとまあメンドクサイ。
旅先で知り合った親切な浪人が、聞くも涙、語るもの涙の仇討ストーリーに感動し、すぐに助太刀するってわけにはいかなかったのだ。
仇討ちは上司の許可が必要で、藩をまたぐ移動にも申告が必要だった!!
仇討ちは武士だけに許された特権。
そのむちゃくちゃ煩雑な仇討ち申請の方法から、仇討ち成功後の事務処理までを簡潔に紹介しよう。
- 仇討ちしたい場合は、まず藩主に申請して「殺しのライセンス」を取得する。
- 憎き敵が藩の外に出てしまった場合は、主君より幕府の奉行所へ届け出が必要。奉行所は”敵討ち張”に内容を記載する。
- 敵討ちの相手を見つけたら、まずは落ち着いてその所在地の自治体に報告する。「敵見つけました!」
- その地方の役所が仇討ち報告を受けると、その申請を江戸幕府に報告。「仇討ちしたいって言ってますけど…」
- 江戸幕府の奉行所は敵討ち帖の内容を照合して、その内容が正しければGOサインをだす。「え~と、OK!決闘の準備して」
- 江戸幕府からの了承が得られたら、その土地の役所は役人を差し向け、敵討ちの相手を拘束する。「ちょ、まてよ!おれがなにしたんだよ!」
- その後、適当な広場や特設会場が設置され、そこで決闘開始だ。「いざ、尋常に…勝負!!」
- 勝てば”仇討ち”成功!負ければ”返り討ち”となる。これで両者の因縁は終了となり、仇討ちの仇討ちは固く禁じられた。
- 役所は仇討ちの結果を報告書をまとめて、江戸幕府に送る。
- 仇討ち終了。仇討ちが成功しても失敗しても、因縁を残してはいけない。
けっして闇討ちや不意打ちをしてはいけない。
敵にもまた正当防衛の権利が認められているからだ。
仇討ち禁止令が明治に入ってやっと作られる
「仇討ち!?なんて野蛮なのっ!!」
そう思うかもしれない。だけど、先ほどの敵討ちの諸々の手続きを見ればわかる通り、江戸時代の法制度は現在と引けを取らないほどしっかりとしていた。
仇討ちシステムも復讐というよりも、武士の名誉回復のために行われることが多かったようだ。
そんな仇討ち制度であるが、実は明治のころまで法律自体は存在していた。
それが1873年(明治6年)に仇討ち禁止令(復讐禁止令)が作られ、法律的にも仇討ちが禁止になった。
仇討ちの駆け込み需要があったかはわからないが、とにかく日本は血で血を洗う復讐を認めない近代国家への道を歩みだしたというわけだ。
仇討ちはルールを守ろう!!
「ここで会ったが百年目!!覚悟ーーーッ!!!」
ズシャァァッ!!
「む、無念ンンーー!!」
…というような仇討ちシーンは、実際にはなかったようだ。
「あっ!いたっ!!あわわ…落ち着け…まずは、奉行所に連絡だ!」
という感じ。
でも…
お上に連絡して仇討ち手続きしている間に、仇討の相手はどこかに行ってしまう気がするんだけど…。