こんなことは声高に言えないけど、実は「愛」という言葉がそんなに好きじゃない。
理由はうまく説明できないのだけれど。
唯一神のような「絶対的に正しいもの」「高尚なもの」「美しいもの」を無理やり押し付けられているような、なんか反発したくなるような感じ。
「愛?知らねえよ!そんなもん!」
と言いたくなるような。
”愛”を基準にして生きることってどうなの?
みないな。
無職で1日中酒飲んでフラフラしているときに、内職している嫁から「あんた!いつまでもゴロゴロしてないで仕事探しに行きなさいよ!このごくつぶし!」といわれた時のような。
わかるだろうか?
”愛”って言葉そのものが、”否定”を含んでいるような感じ。
キリスト教の神様が堕落した人間を洪水で皆殺しにしたってことが悪い印象の原因なのかな~。
まあ日本人だし、キリスト教的な”愛”よりも仏教的な”慈悲”の方がしっくりくる。
「愛にあふれた人」より「慈悲深い人」の方が友達になりたい、そんな感じ。
で、愛について調べてみるとキリスト教が伝来した時に宣教師たちは「愛」という概念の表現に一苦労したとか。
それまでの日本に存在した「愛」という文字は、性愛的なニュアンスが強く含まれており、キリスト教的な愛を適切に表現することができなかった。
そこで考え付いたのが「御大切」という言葉。
すごいね、これは。
愛って、大切に思うことなんだよ。
「あなたを愛しています」は「あなたを大切に思っています」
「隣人を愛せよ」は「隣人を大切にせよ」
「愛されるより、愛したい、マジで」は「大切にされるより、大切にしたい、マジで」
なるほどなるほど、すごくしっくりきました。
人を愛するということは、その人が大好きってことじゃない。
その人を”大切にする”ということ。
「御大切」という言葉を知って、「愛」が手が届かないような高潔なものではなく、少しだけ身近に感じたのでした。