先日、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」で菓子職人桑田ミサオの回が放送された。
桑田ミサオさんは93歳にして、たったひとりで手作りの餅を作り販売している。
そんな”餅ばあちゃん”がふいに語った子どものころの思い出話が心に残ったので紹介したい。
それは餅ばあちゃんが本当に小さいころ。
母親と一緒に畑の手伝いにいったという。
畑の草むしりをした後にお母さんと一緒にお昼ご飯を食べたミサオさんは、そのまま眠ってしまった。
フッと目が覚めると、母親は汗をかきながらひとりで一生懸命に畑仕事をしていた。
「起こしてくれればよかったのに~!」
まだ小さかったミサオおばあちゃんはそう母親を責めると、母親は優しい笑顔でこう言った。
「いいんだよ、ミサオの寝顔があまりにもめんこがったからそのまま寝かせておいたんだ」
ミサオおばあちゃんは、今でもそれを思い出すと涙が流れるという。
ミサオおばあちゃんはめちゃくちゃ凄くて、定年退職後に餅を販売するため起業しちゃう。
息子夫婦にともがんが見つかってしまうと、働きながらそのふたりの面倒も見てる。
朝は2時くらいには起きて、餅の下ごしらえのために餡子を練る。
90歳過ぎてなお、寝る間も惜しんで働き続けている。
これだけ頑張れるのも、子どものころに母親を見てきたからなのかもしれない。
「子どもへの教育」というと、小さなころから英才教育を施したり、常識ややってはいけないことを教えてることをイメージしてしまう。
けど、そんな教育よりも子どもにとって大切なことがあると思う。
それは”愛された思い出”なのではないだろうか。
それがあれば、どれだけつらい人生でも、自分に自信が持てるし、勇気づけられるし、力強く歩んでいける気がする。
逆に言えば、虐待された思い出とか、親から愛されなかった思い出があると、大人になっても、老人になっても、それを引きずってしまう。
それは人生を通してとても大きな足かせとなる。
そんな足かせに苦しんでいる人も知っている。
40歳になっても、60歳になっても、「親への怨み」を捨てきれない人は普通にいるし。
「もう70歳なのに小学生のころ母親に言われたことまだ気にしてんのかよ!」
なんて他人は思うかもしれないが、本人がその思い出を乗り越えるのはとても難しいだろう。
街で子連れの母親とすれ違う時、母親が「ちょっと!なにやってんの!」とか「あんた、わかってんの!」みたいにめちゃくちゃ棘のある言い方を子どもしているのを見かけたことがある。
それも何度も。
(うわっ、かわいそうだな~)
なんて思って子どもを見ると、大体が無表情で黙って母親についていく。
お母さんもお母さんでひとりで頑張っていて、自分の思い通りにならない子どもにストレスが溜まっているんだろう。
でもまあ、たぶんミサオおばあちゃんの母親はそんなことは言わないんだろうな~とは思う。
そんな言われ方をされ続けて、どんな大人になるのだろうか。
ちょっと心配。
子どもにはしっかりとした教育よりもまず「存在そのものを全肯定されるような経験」を与えた方がよっぽど将来のためになるな~と、餅ばあちゃんの思い出話を聞いて思ったのでした。