もしあたなが一生涯まったく衣食住の心配がない快適で安心な環境に置かれていたとして。
まあ、宝くじで数十億当選したとか、親から莫大な遺産が入ったとかでね。
あなたの脳には極小のチップが埋め込まれていて、目の前にある「快楽のボタン」を押すといろんな脳内物質が分泌され、とにかく強烈な快感や幸福感、多幸感、安心感が得られるとしよう。
このボタンは際限がなく、何回でも何回でも押すことができ、常に最大限の快感を得ることができる。
社会的な意義とか、人間関係とか、子孫繁栄とか、世界平和とか、そんなものはここでは考えないことにしよう。
たとえば不治の病で死の宣告をされて、あと数年で必ず死んでしまうのが決まっている、なんて状態を想像してもいい。
あなた個人として、この「快楽のボタン」を押すだろうか?
おそらく、彼女とデートに行くよりも、家族や友達と旅行に行くよりも、美味しいものを食べるよりも、スポーツで汗を流すよりも、超面白い映画を観るよりも、ゲームをするよりも、本や漫画を読むよりも、「快楽のボタン」を押す方が遥かに気持ちいい。
合理的に考えるのなら、一生、死ぬまで快楽のボタンを押し続けることが、もっとも快楽の多い人生を送れることになる。
これは正しいのだろうか?
有意義な人生を送っていると言えるのだろうか???
脳の報酬系を調べる実験で、マウスに「快楽のボタン」と同じような装置を与える実験を行ったことがあるという。
マウスは寝食を忘れ、もう死ぬまでボタンを押し続けたそうな。
おそらくこのマウスは、その一生において何十億年もあるであろうマウス歴史上最大限の快楽を得て死んだ一匹なのかもしれない。
でも、なんだろう?
合理的に考えれば押した方がいいはずなのに、なんだか押したくない。
人間として生きるのを放棄しているような気がする。
その理由は、人間は過程に価値を置きすぎるからかもしれない。
いわゆる「コンコルド効果」ってやつだ。
「埋没費用効果 (sunk cost effect)」の別名であり、ある対象への金銭的・精神的・時間的投資をしつづけることが損失につながるとわかっているにもかかわらず、それまでの投資を惜しみ、投資がやめられない状態を指す。超音速旅客機コンコルドの商業的失敗を由来とする。
人間はそれが無価値だったとしても、たとえ損になるとしても、自分が苦労したことに対して無条件に価値を感じてしまう。
努力に、苦しみに、肉体的な疲労に、筋肉の運動に、行動に、移動に、作用に、無条件に価値を感じてしまう。
しかし、その苦労によって感じる”価値”は幻想ではないか?
コンコルドの開発に莫大な費用掛かりすぎ、それでも途中で引き返すことができず、結局は商業的に失敗したように。
仕事をすることによる達成感はすばらしい。
みんなが協力してひとつのことを成し遂げることはすばらしい。
努力して努力して、何年も頑張って、そうして目標を達成した時の感動は何にも代えがたい。
…しかしそれらは本当はそれほど価値がなくて、ただ人間が持つ「苦労したことに対して感じてしまう価値」であるだけなのかもしれない。
もし何の苦労もせず、努力もせず、精神的、時間的投資もせず、ただ結果だけ得られるのであれば、それがいちばんいいに決まってる。
生来的に過程を重視する価値観を持った人間には受け入れられないだろうが。
だとしたら、わたしたちはただ過程を無視して最高の結果だけを与えてくれる「快感のボタン」を押すべきなのだろう。
ただひたすらに。
死ぬまで。
栄養は点滴でいいかもしれないし、寝たきりでいいかもしれない。
動かすのはボタンを押す右手の人差し指だけ。
なんとなく抵抗感があるけど、それが最も合理的で幸福で有意義な人生なのではないだろうか??
そうだな…わたしは「結果」だけを求めてはいない
「結果」だけを求めていると人は近道をしたがるものだ…
近道した時、真実を見失うかもしれない
やる気もしだいに失せていく
大切なのは「信じるに向かおうとする意志」だと思っている
向かおうとする意志さえあればたとえ今回は犯人が逃げたとしても
いつかはたどり着くだろう?
向かっているわけだからな…
違うかい?
でも、なんなんだろうな~。
たとえどこにもたどり着けなかったとしても、やっぱり過程は大事なんだよ。
遠足でいちばん楽しいのは前日にリュックに300円までのおかしを入れているときだし、遠足は家に帰るまでが遠足だし。
コンコルドは商業的に失敗したって書いてあったけど、逆に言えば商業的に失敗したに過ぎないんだよな。
快楽のボタンをうらやましく思うし、同時にうらやましくもない。
セコセコ仕事して、節約のために自炊して、ただ面白いゲームして、たまにどっかに遊びに行って…
そんなくだらない繰り返しの方がマシだって思う自分もいる。
理由はうまく説明できないけど、「生きる意志」ってやつなのかもしれない。
人間ってのは不思議なもので、「快楽のボタンを押したい!」という気持ちと「快楽のボタンなんて絶対押したくない!!」という気持ちが、矛盾なく同居できてしまう。
それがAIなんかとは違う、人間のいいところなんですね。