「見てぇ!見てぇ~~!!!」
子どもってのは、遊んでいたならそれを親に見て欲しい。
食べているなら見て欲しい、走っているなら見て欲しい、泣いているなら見て欲しい、うんこするなら見て欲しい。
とにかく見て見てと、全身で叫んでいる。
最近テレビで見た海外のおもしろ動画、
白人の子どもが叫んでた。
「ウォッチミー!ウォッチミィィィィィ!!」
それを無視して談笑してる親に災難が降りかかる、そんなおもしろ動画だったと思う。
海外の子どもだって、もちろん見て見て全身で叫んでいる。
この本能的に自分を見て欲しい欲求を、シンプルに「見て欲」と呼んでみる。
これは自己顕示欲とか、承認欲求とか、注目されたい欲求なんかとも似ているけれど、もっと根源的なところから湧き出る欲求だ。
ただ、自分という存在を見て欲しい。
評価も、感想も、言葉も、行動も、なにもいらない。
これは子どもはもちろんだけど、大人になったからといって消えるような欲求ではない。個人差はあるけど。
匿名掲示板に何の意味もない文章を書くのも、自分が書いたものを見て欲しいから。
意味なく暴力を振るうのも、問題行動で自分を見て欲しいから。
SNSに悪質なイタズラを投稿するのも、盛に盛った加工自撮りを投稿するのも、自分を見て欲しいから。
絵描きが展覧会を開くのも、同人作家がコミケに出店するのも、自分が描いたものを見て欲しいから。
アイドルの握手会が盛況なのもアイドルが自分を見てくれるから。(おそらくアイドルがスマホ動画見ながら手だけだして「勝手に握手して頂戴」みたいな”自分を見ない”握手会だったらそれほど人気にはならないだろう)
独裁者が銅像を建てるのも、未来永劫、自分を見て欲しいから。
なぜ人間はこれほどまでに”見て欲”が発達したのか??
それは恐らく、”見て欲”が生存率を大きく上げるからだろう。
有名なマズローの欲求5段階説では、人間の欲求を5つの階層に分けている。
食欲、性欲、睡眠欲の三大欲求がある「生理的欲求」が一番下の階層。
その上に「安全欲求」→「社会的欲求」→「承認欲求」ときて、一番上に「自己実現の欲求」と階層が重っていく。
基本的に下層が根源的で動物的な欲求であり、上層になるほど高次元な人間的欲求となる。
このカテゴリーで分けるとするならば、”見て欲”は「承認欲求」ではなく「安全欲求」に分類される。
人間は社会的な動物であり、ひとりでは生きていけない。
村八分なんて言葉があるように、そんな社会の中で無視されることは、そのまま死に直結した。
他者から見られているだけで、安全度が上がる。
生きていくためには、見られること、他人から認識されることが、とてつもなく大事だったのだ。
だからこそ、人は社会の中で生き残るために、無視されることを極度に恐れ、見られることに腐心した。
現代社会では、少なくとも太古の昔よりは他人に無視されようが独りで生きていけるようなシステムになっている。
ネットもあるしやろうと思えば、他人と口をきかずに、誰にも見られることなく生きていくことだってできる。
”見て欲”は昔ほど重要ではなくなっているわけだ。
しかし人間ってのは、昔と変わらず”見て欲”がありまくる。
そのアンバランスな関係が、いろんな問題を引き起こす。
もともと”見て欲”が強い人間、
普段の生活で”見て欲”が十分満たされていない人間、
とても生きづらいだろう。
それは食欲や性欲や睡眠欲と同じで、強すぎる欲求は破滅に繋がる。
見て欲が過剰に刺激される昨今、不必要な”見て欲”を上手くコントロールすることが、快適に生き抜くために必要なのかもしれない。
”見て欲”を普段の生活に生かす
”見て欲”というものを知っていると、他人の行動原理を推察するのに役立つ。
「なんでこんなことをするんだ…??」
なんて理解不能な他人の行動も、わりと”見て欲”の側面で捉えるとシンプルに見えることがある。
だけど最も大切なのは”見て欲”で他人の行動原理を知ることでも、自分の欲求を満たすことでもない。
他人の”見て欲”を満たすことにある。
見て欲をまき散らす側ではなく、見て欲を満たす側になったとしたら、友人関係も恋愛関係も上手くいく。
親と子の関係、先生と生徒の関係、上司と部下の関係も、目上の人がしっかりと見ることが大事。
というか、相手を見ることはコミュニケーションにおけるもっともベーシックな部分であり、普通に関係を持っていれば十分なわけだけど…
ときに人は、相手を見るのを忘れてしまうことがある。
無視したり、うわの空だったり、スマホ見てたり…。
何かしてあげるとか、アドバイスするとか、優しくするとか、そんなことよりもまず見ること。
理解しようとか、寄り添ってあげようとか、そんなことよりもまず見ること。
見るだけなら簡単だ。
ホントに相手を見るだけだから。
だけど見るだけだからこそ、小手先のテクニックなんかは通用しないし誤魔化せない。
もし相手の”見て欲”を十分に満たすことができれば、関係も良くなるし、円滑なコミュニケーションができるのではないだろうか。