江戸時代に人々が屁でガチンコに戦う「屁合戦」という絵巻が描かれたという。
なんとも臭すぎる戦いだ。
これはまあジョークにしても、人前でおならをするのは恥ずかしいもの。
特に女性にとっては。
17世紀のフランスと江戸時代。
それぞれに独自の発達を遂げた「おならをごまかすための方法」を紹介したい。
17世紀のフランスではおならを子犬のせいにしていた
17世紀のフランスではおならがとても恥ずかしいこととされていた。
そのため、高貴な女性はいつも子犬を連れ歩き、万が一屁をこいてしまった場合は子犬のせいにしていたとか。
ディナーのテーブルの下。
殿方との散歩のひととき。
いつもそばに子犬がおり「ブホッ!!」とやらかしたときは「静かにしていなさい!」と子犬を叱りつける。
子犬がおならの音を出すものなのか?
その強烈な臭いはどうするのか?
そんなことは深く考えなくていい。
周りの人もきっと気付いているはずだ(ああ、いまやらかしたのだな)と。
それでもそれにはあえて触れない。
それがマナーってやつなのだ。
ただ、ご主人が屁をするたびに自分のせいにされる子犬がちょっとかわいそうだ。
江戸時代には屁の身代わりになる職業「屁負比丘尼」がいた
江戸時代には人前でおならをすることはとても恥ずかしいこととされていた。
恥の文化をもつ日本、しかも見栄を気にする江戸っ子ならなおさらだ。
殿方の前で屁をしてしまった女性が恥ずかしさのあまり自殺してしまったこともあったという。
そんな屁に恐れる女性たちを救ってきたのが屁負比丘尼(へおいびくに)だ。
屁負比丘尼は高貴な娘や金持ちのお嬢さんに付き添い、万が一彼女が屁をこいたら「申し訳ございません。わたしがやりました!」み身代わりをする。
なんとも馬鹿らしく聞こえるが、当時の時代背景を考えると切実な問題だったのかもしれない。
そんな屁負比丘尼は科負比丘尼(とがおいびくに)とも呼ばれていて、おなら以外にも恥ずかしい行為全般の身代わりを引き受けていたそう。
古代エジプトには屁神がいた!
多神教である古代エジプトにはいろんな神様がいたのだけれど、その中の一柱に「おならの神様」がいたという。
名前はクレピトゥス。
おならをするとスッキリするし、おならを我慢するとお腹が張って健康に悪い。
古代エジプトではおならは健康をもたらしてくれるもの、と考えられていて恥ずかしいものではなかった。
健康をもたらしてくれるおならに対する感謝を、屁神クレピトゥスにささげていたという。
古代ローマでは屁は美徳だった!?
子犬や屁負比丘尼。
おならは恥ずかしいものであり、それをごまかすためにいろんな工夫がされてきた。
しかしながら、驚くべきことに古代ローマでは屁が美徳とされたという。
繁栄を極めた古代ローマでは、その食事も量が多くて豪華になってきていた。
上流階級の人たちは寝そべりながら食事をしていたという。
ただ動かずに食べ続け、おしっこがしたくなったら奴隷に尿瓶を用意させた。
そしてお腹いっぱいになると、豪快にげっぷをしたり、放屁をした。
放屁は食事に満足した証であり、ある種のマナーともなっていたという。
おならやげっぷの音を聞いたシェフは”名誉なこと”として喜んだのかもしれない。
中学生のころに人前で屁をぶっこいた話
現代の日本では屁負比丘尼を雇うことはできないし、いつでもそばに子犬を連れていくこともできない。
では、万が一人前でおならをしてしまったらどうすればいいのか?
そういえば中学生のころ、人前で豪快に屁をこいたことがあった。
全校集会の体育館でみんなで座っていた時のこと。
校長先生の長い話が終わり、みんなで立って教室に変えるときだ。
「ぶ~~~~!!!!」
たった拍子に思いっきり屁をぶっこいた!
やっちまった~!
と思いつつ、笑ってごまかした。
現代に生きる私たちは、もし人前で屁をしてしまったらどうすればいいのだろう?
笑ってごまかす。
素直に謝る。
知らん顔をする。
わたしは「笑ってごまかす」を選んだわけだけど、わりとこういう対処には性格が出ちゃうのかもしれない。
もし隣にいる人が屁をこいたら、その瞬間に「わたしがやりました!」と名乗りでる。
…そんな人にわたしはなりたい。
でも、そんないきなり名乗り出られたら、実際におならをした人はめっちゃビックリするだろうね。