サイコパスの最大の特徴は良心の欠如と共感性の欠如だ。
なるべくなら関わりたくないサイコパスだけれど、知能の高いサイコパスは一般人に紛れ込み狡猾に立ち回る。
そんなサイコパスをごく自然に、会話の中で見破る質問を紹介しよう。
それは、好きな物語を聞くこと。
物語であれば、小説、映画、漫画、ドラマ、アニメ、ゲーム、なんでもいい。
「人生で一番感動した映画ってなに?」
「小説とか読むの?」
「オススメの漫画、教えてよ」
そんな風に会話の中で自然に聞いてみよう。
サイコパス傾向の強い人は、おそらく物語に対する関心が低い。映画も見ないし、漫画にもあまり興味を示さない。
本を読んだとしても実用書や自己啓発本ばかり。
もちろん物語に触れることはあるだろう。
ある映画を観て面白いと感じるかもしれないし、その”面白さ”を高い知能で予測することもできる。
でも、自ら積極的にそういったメディアに触れることはしない。
なぜか?
それは恐らくサイコパスが物語を十分に楽しめないからだ。
物語の面白さには何種類かの「システム」というか「構造」というか「パターン」がある。
戦って勝つこと、悪者に罰を与えること、キャラクターが強い恐怖や喜びを感じることなどなど。
たとえば物語に酷い目にあうキャラクターが登場したとして、その物語を楽しむためにはそのキャラクターに同情したり共感したりする必要がある。
共感し、同情し、それで自分の感情が揺さぶられ、それが展開し解決することで感動や面白さ、カタルシスにつながる。
サイコパスは他者の情動を予測できたとしても共感ができないので、この展開に面白さを十分に感じ取れない。
ほとんど物語の主人公が善行を行うのは、善行を見るだけで見た側の人間にもドーパミンが分泌され気持ちよくなるから。
しかし良心が欠如したサイコパスは、たとえ雨に濡れた捨て猫を拾ってきた主人公を見ても何の感慨もわかない。
キャラクターの動機に対する洞察力が働かないので、物語を深く理解することも難しいだろう。
物語を面白く感じるパターンがサイコパスには通用しないわけだ。
だから一緒の映画を観ても、「いちばん面白かったシーン」で変わったところを上げるかもしれない。
サイコパスは噓つきで自己中心的で他人を操ろうとするけど、サイコパスでなくても嘘はつくし自己中心的だし他人を操ろうとする。
だから”物語”に焦点を当てる。
サイコパスではなくとも、すっごい噓つきはいるし、自己中な性格のやつもいる。
でも、そんなやつだって漫画くらいは読む。
しかしガチのサイコパスは漫画もアニメも興味を示さない。
もちろんこれだけでサイコパスかどうかを判断するのは無理があるけれど、それ以外の立ち振る舞いや言動と合わせればかなりの確率で見抜けるのではないだろうか。
もしあなたのまわりに物語にまったく興味を示さない人がいたら…
その人がサイコパスでないか、今一度よく観察してみよう!