ある若者が賢者が住むという美しい城に訪れ、「すいません。幸福の秘密を教えて欲しいんですけど?」と願った。
すると賢者はいきなりなんだコイツは、と思いながらも「今は時間がないから、とりあえずこの自慢の城を見て回ってきなよ」と告げたのだが…
「その間、君にしてもらいたいことがある」
と、二滴の油が入ったティー・スプーンを少年に渡しながら、賢者は言った。
「歩きまわる間、このスプーンの油をこぼさないように持っていなさい。」
少年は宮殿の階段を登ったり降りたりし始めたが、いつも目はスプーンに釘づけだった。
二時間後、彼は賢者のいる場所に戻ってきた。
「さて、わしの食堂の壁に掛けてあったペルシャ製のつづれにしきを見たかね。庭師のかしらが十年かけて作った庭園を見たかね。わしの図書館にあった美しい牛皮紙に気がついたかね?」と賢者がたずねた。
少年は当惑して、「実は何も見ませんでした」と告白した。
彼のたった一つの関心事は、賢者が彼に託した油をこぼさないことだった。
「では戻って、わしの世界のすばらしさを見てくるがよい。彼の家を知らずに、その人を信用してはならない」と賢者は言った。
少年はほっとして、スプーンを持って、宮殿を探索しに戻った。
今度は、天井や壁にかざられたすべての芸術品を鑑賞した。庭園、まわりの山々、花の美しさを見て、その趣味の良さも味わった。
賢者のところへ戻ると、彼は自分の見たことをくわしく話した。
「しかし、わしがおまえにあずけた油はどこにあるのかね?」と賢者が聞いた。
少年が持っていたスプーンを見ると、油はどこかへ消えてなくなっていた。
「では、たった一つだけ教えてあげよう」とその世界で一番賢い男は言った。
「幸福の秘密とは、世界のすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ」
パウロ・コエーリョ「アルケミスト」より
これは小説アルケミストの中に登場する逸話なんだけど、「自分にとってのスプーンの油とは何だろう?」と考えさせられてしまう。
一般的な解釈をするなら、スプーンの油は自分にとって大切なもの、自身の健康、生活の基盤とか家族・友人、財産ってことになる。
だけどそればかりに目を向けて、人生の素晴らしさを味わっていない人も多い。
逆に自分の夢や希望、楽しいこと、それも大事だけど、自分の身の回りのものをおろそかにして不幸になっちゃう人もいる。
お金ばっかり追い求めて世界の素晴らしさに気づけない人は不幸だし、仕事ばっかりで家族を顧みず熟年離婚しちゃう人も不幸だ。
というわけで、夢と現実のバランスをとりましょうね、というのがこの逸話から私たちが学べる教訓ということになる。
…しかし、この逸話を聞いた後、アルケミストの主人公である少年はとんでもない酷い目に会い絶望のどん底に落とされるのである!!
「アルケミスト 夢を旅した少年」とは簡単に言うと、羊飼いの少年がピラミッドにあるという財宝を探しに行く物語だ。
少年が街である老人と出会い、自己啓発セミナーの講師のような説教臭いアドバイスを受けた挙句、羊を全部売ってエジプトへ旅立つ。先ほどの逸話はこの老人から聞いた話の一部。
で、船に乗ってスペインからアフリカの港町にたどり着いた少年なんだけど、なんと最初に出会った男に全財産をあっさり盗まれてしまう!!
ああ、今日の朝は羊の群れに囲まれた幸せな羊飼いだったのに!次に訪れる街には片想いの女の子がいたのに!日が暮れるころにはアフリカで無一文だよ…。
おれの人生どーなってんだよ!!
と、少年は絶望する。
つまり少年は夢いっぱいで世界を楽しもうとした矢先に、スプーンの油をぜんぶこぼしてしまったわけだ。
で、少年はどうしたか?
まず結論を言うと、彼は自分で決めたのだ。
彼は自分のことをどろぼうに会ったあわれな犠牲者と考えるか、宝物を探し求める冒険家と考えるか、そのどちらかを選ばなくてはならないことに気がついた。
「僕は宝物を探している冒険家なんだ」と彼は自分に言った。
”スプーンの油をこぼす”とは、自分の人生のコントロールを手放すことなのではないだろうか?
自分の幸せは自分で決める!
自分の運命は自分で決める!
それこそがスプーンの油なのではないだろうか!?
…と、スプーンの油をそんな風に解釈してみた。
すべてを失った少年はこれからどうなるのか?
すると次に登場するのが、つまんない人生を歩んでいるクリスタル製の雑貨を売っている商人のじじいだ。
クリスタル商人のじじいは完全なまでに「スプーンの油だけに注目して世界の素晴らしさを味わっていない退屈な人生」を送っている。
人通りの少ない路地にクリスタル店を構えて30年、毎日同じことの繰り返し。店内から店先を行き交う人たちをぼ~っと眺めるだけ。
店舗を移動させるわけでも、新しい何かを始めるわけでもない。
敬虔なイスラム教徒であるじじいの唯一の夢はメッカに巡礼に行くこと。
だけどそんなに金もないし、メッカに行ってしまったらその後の人生が目標のない味気ないものになってしまうことを恐れてなにもしない。
スプーンの油だけを見続けて生きてきたジジイと、スプーンの油をすっかりこぼしてしまった少年が偶然にも出会う。
そうしてクリスタルのお店を手伝うことになった少年は、いろんなアイデアで店を繁盛させる。
1年近く働いて十分すぎるお金が溜まった少年は、再びエジプトへ旅立つ決心をする。
じじいと少年の別れのシーン。
「明日出発します。羊を飼うには十分なお金もできたし、あなたもメッカに行けるくらいのお金はありますよね」
「わたしはお前を誇りに思っているよ。でも、お前はわしがメッカに行かないことを知っている。自分が羊を買わないのを知っているようにな」
そうしてジジイは少年を祝福し、旅へと送り出したのだ。
「マクトゥーブ」
と年老いた商人は言った。
そして彼は少年を祝福した。
マクトゥーブとは”それは書かれている”という意味で、おそらく「運命」みたいなニュアンスの言葉だと思う。
じじいは時折「マクトゥーブ」とつぶやいていたが、その言葉には諦めと後悔の色が濃かった。
しかし少年と出会い、別れに彼を祝福した「マクトゥーブ」には、運命を受け入れ、積極的に選択したと思わせる力強さがある。
クリスタル商人のじじいは自分の生涯たったひとつの大切な夢を叶えないということを、自分で決断した。
そして自分が幸せであるということを決断した。
じじいもまた、スプーンの油をこぼさない生き方、つまり自分の運命を自分で決める生き方を発見したのだろう。
…というわけで、スプーンの油とは運命を自分で決断すること、という解釈を紹介してみた。
人生を自分で決断するということは、自由であることや不自由であることとは関係ない。
極端な話、牢獄の中で一生外に出られなかったとしても、スプーンの油をこぼさない生き方はできる。
「幸福の秘密とは、世界のすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ」
人生を楽しみながらも自分で選択し続ける、自分の人生の責任を全部自分がとる、それが幸福の秘密。
スプーンの油を”自分の周りの大切なもの”と解釈するよりもかなり手厳しい。
はたしてこの日本で、私たちはスプーンの油をこぼさずに幸福に生きることができているのだろうか…!?
超絶ベストセラーのアルケミスト夢を旅した少年、興味のある方は是非読んでみてくださいね。