江頭が江頭2:50のピーピーピーするぞ!の相談コーナーで語った、面白い文章を書く為の法則が非常に正論かつ的確だったので紹介したい。
読むか読まないかは最初の3行で決まるんだよ
面白い文章が書けないという女性ライター悩み相談に対する一言。
「読むか読まないかは最初の3行で決まるんだよ!!」
この女性ライターは主にパチンコ雑誌のコラムを書いているとのことだが、どんな媒体であれ確かに最初の3行くらいでその文章の面白さを判断している気がする。
小説であれ、新聞であれ、雑誌であれ。
そしてこの最初の3行の効果が顕著なのは、インターネット上の文章なのではないだろうか。
雑誌や小説なら購入しているわけだから、今読まなくても後で目を通すかもしれない。
しかしウェブ上の、例えばブログなんかは、最初の3行で興味を失えば、そのページを消して永遠にサヨナラである。
そう考えてみると、江頭2:50の語る「最初の3行」の重みがヒシヒシと感じられる。これがダメなら本文の良し悪しにかかわらず、永遠に読まれないのだから。
その後、エガちゃんは「俺が手本を作ってやるよ!!」と叫び、出てきたのがこの3行。
ち○○がなかった私には
ち○○で遊ぶこともなく
ここまでち○○の味も知らずに育ってきました。
な、純文学だろ?
読んでみろよ!と女性ライターに強要。
そして半強制的に読まされた女性ライター、放送事故である。
報告書(レポート)の作成と最初の3行
何かしらのレポートを作成する際の、最もスタンダードかつわかりやすい構成というものがある。
まず結論を書く。
その後、その根拠や補足説明を書く。
最後にまとめる。
最初の結論に納得すれば、その後の文章は読む必要はないし、疑問点があったり詳しく説明が読みたくなれば続きを読む。読者も時間を無駄にしなくていいし、自分に必要な情報が的確に得られる。
言葉という道具で物事を伝える、シンプルなラインだ。
これもまた最初の3行が勝負であることに変わりない。
最初の3行、江頭の法則は時間も空間も媒体も、そして言語すらも選ばない。
純文学と最初の3行
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
あまりにも有名な1行。
これは川端康成の「雪国」最初の1行だ。
もう3行すらいらない。
ファーストインプレッションの大事さは、この1行が有名である、という事実だけでもう明白だ。
また小説では最初の3行にインパクトを持たせるために方法に「会話からはじまる」なんてパターンもある。
会話から始まることで読者の興味をひけるし、スピーディーな展開になる。
少なくとも主人公の自己紹介から始まる小説よりははるかにマシだ。
さて、江頭2:50の最初の3行を改めて読んでみよう。
ち○○がなかった私には
ち○○で遊ぶこともなく
ここまでち○○の味も知らずに育ってきました。
実に興味をひく文章だ。圧倒的に続きが読みたい。
ち○○がない「私」のアイデンティティとは何なのか?
ち○○で遊ぶとは?
3行目ではち○○なしで育つということで圧倒的欠落感持ちつつも、それを懸命に受容しようという心の葛藤が見て取れる。
この3行で主人公たる「私」と「ち○○」との歪んだ関係性が明確に表現されつつも、その後の展開を想像させるような「謎」が豊穣に盛り込まれている。
まさに衰退の一途をたどる日本純文学の再創生を予感させる3行であろう。
言うなればこれは「これからの日本文学の最初の3行である」といっても過言ではない。
次のノーベル文学賞は村上春樹を抑えて、生ける純文学「江頭秀晴」が受賞するかもしれない。