「なぜ働かなければならないのか?」
という新入社員の質問に対して、経営者が熱く語っている記事を読んだ。
お金のため、人生を豊かにするため、色んな人と出会うため、自分を成長させるため…
それはとても正しくて、至極まっとうで、まったくの正論だった。
この経営者は、そしてほとんどの人は、働かなければならないという価値観を生きている。
だけどその考え方は、そのまま次の世代でも通用するのだろうか?
その考え方は、近未来でも正しいといえるのだろうか?
現在進行形で「ベーシックインカム」の社会実験をしている国だってある。
近い将来、仕事というのは”やりたい人がやるもの”になっている可能性だってある。
いま、働き盛りでも働かないニートが問題になっているが、ニートが増えているのは「働くことが無条件に正しい世界」が終わりに近づいているからかもしれない。
「働きたくないでござるッ!!」
…働かないという生き方。
そのヒントが、中国の古典である「菜根譚」に記されている。
何百年も前の書物に、すでに現代ニートの生きざまの教科書的な思想が書かれていたのだ。
全ニート必読の書、「菜根譚」の名言を少しだけ紹介したい。
菜根譚の心に染みるニートのための名言
菜根譚は中国の古典で、中国明代末期のものであるといわれている。
きっと西暦1500~1600年くらいに記されたものであろう。
その中には、現代の日本にも通じる英知が詰まっている。
そのたくさんの英知の中から、とくに無職・ニートの生きざまを指し示すような名言を紹介したい。
わが部屋に漫画とゲームがあれば、仙人の住む郷のごとし!!
心に物欲無くば、即ちこれ秋空霽海(しゅうくうせいかい)なり。
坐に琴書(きんしょ)有らば、すなわち石室丹丘(せきしつたんきゅう)を成す。
- 琴書=音楽と書物のこと。転じて「高尚な趣味」という意味
- 石室丹丘=仙人の住む郷。理想郷的な意味。
一般的解釈
心に物欲が無ければ、まさに秋晴れの空や雨上がりの海ような穏やかな気分になれる。
側に琴や書物があれば、そこがそのまま仙郷にあるようなものだ。
ニート的解釈
物欲がなければ、たとえ無職のニートでも秋風のようにサワヤカ気分。
部屋に引きこもっていても、音楽と漫画とゲームがあればパラダイスや!!
わが引きこもりの部屋は、無限の広がりを見せるなり!!
延促は一念により、寛窄は之これを寸心にかく。
故に機きの閒かんなる者は、一日も千古より遥かに、意の広き者は、斗室寛きこと両閒(りょうかん)の若し。
一般的解釈
年月や時間は人の気分によって長くも短くもなる。世間の広さや狭さは個人の価値観で変わっていく。
心がゆったりとした人は一日を千年以上に感じることが出来るし、心が広い人は狭い部屋でも天地のような広がりを感じることが出来る。
ニート的解釈
何も知らない俗物は、あくせくと働きながら、引きこもりの人に「外の世界は広くて楽しいよ!」と語りかけるかもしれない。
しかし、その閉じられた部屋は外の世界と同等、いやそれ以上の広がりを見せているのだ!
わが携帯には何カ月もだれからも連絡がない…だけど気にしない!!
これを損してまた損し、花を栽え竹を種えて、儘(ことごと)く烏有(うゆう)先生に交還(こうかん)す。
忘るべきなきを忘れ、香を焚き茗(めい)を煮て、総て白衣の童子に問わず。
一般的解釈
ひたすら知識や物欲を捨て去り、花を植えたり竹を植えて、すっかり「無」の境地に心を遊ばせる。
「忘れてはならぬこと」まで忘れてしまって、ただ香をたき茶をたしなみ、酒を持って来てくれる友人がいなくても苦にならない。
ニート的解釈
ひたすらに部屋にこもり、漫画に読みふけり、2ちゃんねるを荒らすとき、すっかり心は無の境地に至る。
もう何カ月もスマホのメールもラインも、だれからも連絡はないが、まったく気にならない。
トロフィーコンプを目指して苦しんでいる自分にハッとする…
山林は是れ勝地(しょうち)、ひとたび営恋(えいれん)すれば、便と市朝と成る。
書画は是れ雅事(がじ)、ひとたび貪癡(どんち)すれば、便ち商賈と成る。
蓋(けだ)し、心こころに染著(せんちゃく)無くば、欲界も是れ仙都なり。
心に係恋(けいれん)あらば、楽境も苦海と成る。
- 染著=物事に執着してしまう気持ち
- 係恋=深く思いをかけて恋い慕うこと。
一般的解釈
山林は住むのには良い場所だけれど、変に凝りだしてしまうと(営恋)街中と一緒になってしまう。
書画の趣味は高尚だけれども、それも行き過ぎると収集欲ばかりになり商売人と変わらない。
心に執着がなければ、たとえ欲にまみれた世界でも仙人の住む都の様なところになる。
だけど、心に執着があば、楽しいことだって苦しく感じてしまうだろう。
ニート的解釈
トロフィーコンプを目指して日々ゲームをやり続けている…。
なぜ大好きなゲームをやっているのに苦しまなければなならないのか?
それは完璧にやり遂げようと変にこだわっていたからだ。アイテムをすべて集めようと収集欲にとらわれていた。
ゲームが好きすぎて、いつしかそれが執着に代わり、私を苦しめていたのだ。ああ、ゲームをただ純粋に楽しむ気持ちこそが、一番大切だったのだ。
無職で貧乏。失うものがない。…我は無敵なり!
多く蔵する者は厚く亡う。故に知る、富は貧の慮(おもんぱか)り無きに如(しか)ざる。
高く歩む者は、疾く顛(たよ)る。故に知る、貴(き)は賤(いやしき)の常に安きに如かざるを。
一般的解釈
お金を貯めていればいるほど、失う時は大きく失う。その点、貧乏だったらそんな心配はない。
地位が高くなればなるほど、失脚する可能性も高くなる。その点、地位の低いものはいつも安泰だから、低い方がはるかに勝っている。
ニート的解釈
ニート、無職、引きこもり…。
世の中の成功者が週刊文春によって引き摺り下ろされ、地べたを這いつくばるような人生に叩き落される中、私はその地べたの中にあり健やかに生きている。
成功者や金持ちよりも、遥かなる高みにいるのだ!!
家族?こども?金?そんなもんいらん!!
樹木、根に帰するに至って、而る後、華萼枝葉(かがくしよう)の徒栄なるを知る。
人事(じんじ)棺(かん)を蓋(おお)うに至って、而る後に子女玉帛(しじょぎょくはく)の無益なるを知る。
一般的解釈
樹木は枯れ果てて根だけになって初めて、在りし日の花や葉がはかない繁栄であったことを知る。
人間は棺桶の蓋をするときなって初めて、こどもや財産が何の役にも立たないことを知る。
ニート的解釈
くそったれリア充はフェイスブックにこどもや家族との写真をアップしながら、「結婚しないの?こども可愛いよ?」と上から目線で言ってくる。
ブラック企業に勤める思考停止した知人は「働かないの?将来どうするの?ちゃんと考えてるの?」などと無知蒙昧な暴言を吐く。
だけど棺桶に片足を突っ込んだ人生の終わりに痛いほど思い知るだろう…そのかりそめの繁栄は全部嘘っぱちだってことに。いま部屋に引きこもって人生を謳歌している我の方が正しかったということに!!
働かなくてよい世界はやってくるのか?
問題はふたつある。
①世の中の仕事のほとんどは、実はあってもなくても問題ないものばかりである。(資本主義の弊害)
②AIが進化して、仕事のほとんどがAIで代替できるようになる。(テクノ失業)
近所のコンビニが明日突然閉店したとしても、近くの別のコンビニに行くだけ。
製品開発は、必要のないものを意味のあるようなものに見せかけて新商品を作っているだけ。
営業職は、営業しないと売れないものを売りつけているだけ。(本当に必要なら営業しなくても売れる)
生活に必須と思われている交通機関もスーパーも、近い将来完全に無人で運営できる。
自動車の運転も自動になれば、流通も人員が劇的に減る。
あなたが明日突然仕事を辞めたとしても、本当は誰も困らない。
あなたが務めている会社が明日突然倒産しても、本当は誰も困らない。
仕事なんてそんなもんだ。
このまま人工知能やロボットが進化を続け、人間一人の生産性が上がり続ければ、その内に働きたいやつが自己満足で働くだけで成立する社会になるのではないだろうか?
今現在でさえ、世界のトップ1%の富裕層が保有している富は、世界中の富の半分になるという。これらの富を何らかの形で再分配したとしたら、世界中の人々が満足に生活できるだろう。
ヨーロッパではベーシックインカムを試験的に採用している国がある。それが正しいかはわからないが、いろんな方法によって不公平な富の偏りが是正されれば、働きたくない人が働かないでも豊かに暮らせる世界は実現するかもしれない。
というか、実現して欲しい。
…心の底から働きたくない!!!!
働かなくても良い社会になった時、古い価値観を持った大人たちは生きる意味を見失ってしまうだろう。
ニートは次世代を担う”新しい生き方”を指し示しているのかもしれない。
今までとは違う新しいことをしようとするものは、旧来の勢力から叩かれるもの。その圧力や迫害に負けないためにも…菜根譚をぜひとも読んでみてはいかがだろうか!?
*菜根譚は守屋洋訳がオススメだよ。
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