修学旅行以来10年以上ぶりに京都旅行に行き、安倍晴明ゆかりの地である清明神社をお参りしてきた。
桔梗の花が満開の清明神社の画像と共に、最強の陰陽師である安倍晴明の数々の伝説を紹介しよう。
安倍晴明と清明神社
安倍晴明は平安時代に活躍した陰陽師だ。
陰陽道は古代中国の陰陽五行説を基に、日本で独自に発展した呪術・占いのこと。
陰陽道を駆使して、天皇や公家を相手に災厄の回避の占術や呪術を行うのが、陰陽師の仕事。ちゃんとした仕事で、今でいうところの国家公務員という感じだ。
陰陽師を管理・育成する行政機関「陰陽寮」は676年に天武天皇により創設され、そこから1869年(明治2年)に廃止になるまでの約1200年間、ず~っと存続していた。
陰陽寮は、文明開化で近代化が進んだこと、陰陽頭の土御門晴雄が亡くなったことをきっかけに廃止されることになった。土御門晴雄氏が日本の歴史上、最後の陰陽師ということになるだろう。
土御門(つちみかど)家は、安倍晴明を祖とする一族。つまり安倍晴明の子孫は陰陽師のエリートとして、陰陽師の歴史の最後まで影響し続けたということになる。
そんな史上最強の陰陽師、安倍晴明の伝説を少し紹介しよう。
最強の陰陽師、安倍晴明の伝説!!
それでは、今に語り継がれる安倍晴明の伝説を少しだけ紹介しよう。
☆安倍晴明の母親は人間ではなく、和泉国信太の森の狐。そのため、幼いころから霊力が強かったという。
☆まだ幼い清明が、師匠である加茂忠行のお供をしていた時のこと。清明は夜道で前方から鬼がやってくるのを目撃し、慌てて師匠に伝えた。加茂忠行は鬼を退けるが、この一件で清明の才能を見抜き、陰陽道のすべてを教える。
☆菅原道長に献上された瓜のひとつに”毒気”があると吉兆占いで看破する。その瓜を切ってみると、中からは毒蛇が出てきたという。
☆ライバル蘆屋道満と、法力で箱の中身を当てる勝負をしたときのこと。夏みかんが入っている箱を当てなければならないのに、ネズミが入っていると言う安倍晴明。中身を確認すると、術の力で夏みかんはネズミに変えられていたという。
☆貴族は「式神で人を殺せますか?」という無理難題を清明に問うた。「生き返らせる方法を知らないので、無益な殺生はできません」と言うが、庭の池にいるカエルを殺してみよと我が儘を言う貴族。仕方なしに法力を込めた葉っぱをカエルに投げると、カエルは潰れて死んでしまったという。
☆安倍晴明は12の式神を使役していた。この式神を十二天将と呼ぶ。「朱雀」や「白虎」などの四神も含まれていて、その他にも炎に包まれ羽の生えた蛇「騰虵」、全てを知る老婆「大陰」、十二天将のリーダーである「 貴人」など、なんともカッコいい式神がたくさん!清明は独身時代、これらの式神たちに自宅の家事をやらせていたという。
かなり脚色された伝説かもしれないけれども、そんな伝説が創られてしまうくらい脅威的な陰陽術を駆使していたのだろう。
そんな安倍晴明を祭る神社が京都にはある。
清明神社だ。
晴明神社にお参りに行ってきた!!!!
先日、京都旅行に行ってきたんだけど、晴明神社にも行ってきたので、撮影した画像を紹介したい。
晴明神社を真っ正面から撮影。
境内の左手には、安倍晴明公の銅像が、そして右手には厄除の桃が鎮座している。
稀代の陰陽師、安倍晴明の像。
厄除桃の像
厄除桃
古事記、日本書紀、桃太郎伝説にあるように古来、陰陽道ではモモは魔除厄除の果物とされています。厄年の方に限らず自身の厄をこの桃に撫でつけてください。
厄除桃の御利益を授かるために撫でまくってきた。よくみると、かなりセクシーな造形をしているぞ!
平穏無事に生活できていることを感謝する筆者
清明神社の御神木くすのき
清明神社の境内には大きなくすのきが立っている。樹齢300年以上の御神木だ。
御神木 楠(くすのき)
樹齢 推定300年 楠はかつて虫除けの樟脳の原料としていた 樹皮に触れると独特の感覚があります。両手を当てて大樹の力を感じ取ってください。
こんな説明書きがあったので、両手を当てて大樹の力を感じ取ってみた。
大樹のパワーを感じるぞぉー!!
清明井と北斗七星
境内には清明井と呼ばれる井戸がある。
清明井は安倍晴明の法力によって湧き出したといわれる井戸。
いまでもちょろちょろと聖水が湧き出していている。傍の立て看板には、「水を採取するのは一人500ミリリットルまで」という注意書きが!一人で何リットルも持って行っちゃう人もいたのだろうか…。
そしてその手前には、北斗七星も描かれている。
陰陽道は占星術も取り入れた占術を用いていて、安倍晴明も天文学に通じていた。清明は陰陽寮の”天文博士”という役職に就いていたこともあるのだ。
安倍晴明のシンボルである五芒星は、星ではなく桔梗の花!
清明神社には、いろんな場所に安倍晴明公のシンボルである五芒星が描かれている。
でもこれ、五芒星ではないという。
清明神社と桔梗
当神社の神紋は御祭神安倍晴明公が創められた魔除けのしるしです。
一般には五芒星(ごぼうせい)といわれていますが、此処では桔梗印(ききょういん)と呼ばれています。
そのゆかりに依り、又、御鎮座壱千年を記念して境内に約1,500株の桔梗が植えられています。
安倍晴明のシンボルである”五芒星”は星をベースにしたデザインではなく、木・火・土・金・水の陰陽五行と桔梗の花から創られたもの。そのため、桔梗印と呼ぶ。
くしくも、晴明神社に訪れた日には境内の桔梗が満開であった。
桔梗の花は、確かにきれいな五芒星の形をしている。
桔梗の花が満開の晴明神社
式神が隠れたという戻り橋
さて、晴明神社をお参りした後は、近くにある一条戻り橋に向かった。
一条戻り橋には清明の式神が隠れていたという伝説がある。
式神とは陰陽師が使役する鬼神のことで、安倍晴明は12の式神を使役していたといわれている。この式神を十二天将と呼ぶ。
安倍晴明の自宅の家事は式神が行っていたといわれ、戸が勝手に開いたり閉じたりしたという伝説が残っている。
しかし安倍晴明が結婚すると、式神のおかげでひと悶着が起きてしまう。
式神たちが家事を手伝ってくれるのだから、奥さんはさぞ楽だろうと思いきや、そうはいかない。
式神はたいそうグロテスクな容姿だったため、家の中で家事をする式神を見た嫁が「気持ち悪いっ!も~清ちゃん、いいかげんにしてよ!!」と怖がったのだ。清明は仕方なく、近くにあった一条戻り橋の下に十二天将を隠し、必要に応じて使役していたという。
意外と奥さん想い(恐妻家?)の清明なのであった。
でも、頑張って家事をしていた式神たちがちょっとかわいそう。
一条戻り橋の橋の下がコチラ。ここに12匹の式神がいたといわれている。
一条戻り橋は平成7年に新築されていて、今ではとってもキレイな橋になっている。
それ以前の一条戻り橋の画像が、橋の横の看板に掲載されていたので紹介しよう。
この写真を見る限り、昔の一条戻り橋って長さ1メートルくらいしかないような?
きっと式神たちも窮屈だったに違いない。
清明神社の厄除御守り!!
清明神社の境内には厄除のお守りやお札の売店があり、巫女さんが対応してくれる。
そこで真っ白くて桔梗紋のはいったお守りを購入!なんだか厄を払ってくれそうだ!
ちなみにこのお守りを購入するときに、前に並んでいたおばちゃんの声が聞こえた。どうやら、旦那さんのお土産にお守りを購入しようとしているようだった。
「一番人気のあるお守りはなに?」
そう聞いたおばちゃん。巫女さんに「お守りは人気で選ぶものではありません!」と窘められていた。
「とにかく守ってくれそうなのは??」
さらに聞くおばちゃん。なんだか清明さんに怒られそうだけど、巫女さんは丁寧に交通安全のお守りなどがあることを説明をしていた。
安倍晴明の伝説を今に伝える晴明神社。
安倍晴明像や厄除桃、御神木に清明井など、パワースポットが満載であった。
京都を訪れた際には、是非とも一度お参りして欲しい!!