オカルト愛好家と陰謀論者の違いとはなんだろうか?
オカルトとは「超自然的なことや「神秘的なこと」全体を差す。
具体的には、幽霊とか超能力とか、宇宙人とかUFOとか、UMAとか秘密組織の陰謀とか。
オカルト愛好家は、そんな怪しげなことを”愛好”する人のこと。
陰謀論とは「世の中の出来事の裏に何者かの意志が働いている」という考え。
具体例には、「アポロ計画は捏造だ」とか「ケネディ暗殺事件には真犯人がいる」とか「大地震は人為的な人工地震だ」なんてものがある。
陰謀論者はそんな怪しげなことを”信じて”いる人のこと。
愛好することと信じることは大きく違う。
例えばUFOの写真があったとして、それが画像解析でニセモノと判明したとしよう。
オカルト愛好家は”UFO写真が捏造だった事実”を楽しむことができる。
発達した画像加工技術を知り、「じゃああのUFO写真も偽造かな?」なんて思える。
UFOという存在を完全に信じてもいないし、絶対にいないと思ってもいない。
オカルトの嘘もホントもまとめて愛する状態。
ちゅうぶらりんの判断を猶予している状態を楽しむスタンス。
真偽の全体を受け入れている状態。
AとBという2つの選択肢があったとして、どちらを選んでも結局は幸せになるような。
”愛好”にはそんな度量の深さがある。
対して陰謀論者は大きく違う。
自分の信じている陰謀が否定されるような事実は無視するか、大声で否定する。
まったく違う事実を引用して屁理屈で論破する。
信念を絶対に曲げない。
頑なに自分を信じている。
AとBという2つの選択肢があったとして、Aは疑うことなく完全肯定、Bは頭から完全否定。
”信じる”には、違う考えを拒絶し、受け入れることを絶対にしない、そんな度量の浅さがある。(これはある種のオカルト現象を本気で信じているオカルト信者も同じことが言えるだろう)
では、それを踏まえたうえで、より人生を楽しむにはどうしたらいいか?
信じるもの減らし、好きなものを増やす。
判断をせずに、ただ受け入れる。
これだけ。
他人の言葉を、信頼している人のアドバイスを、新聞やニュースの報道を、ネットに溢れる情報を、分厚い本に書いてあったことを、論文の実験結果を、
信じると同時に信じない。
そして同時に、そのグレーゾーンを楽しむ心意気。
これが人生を楽しむポイントなのではないだろうか。