私は”正義”という言葉が好きになれない。
”正義感の強い人”も苦手だ。
だって、人が”正義”という言葉を使うのは、必ず”人が人を裁くとき”だから。
ってか、正義とは何だろう?
正義は法律を守ることでもないし、善行のことでもない気がする…。
「なんだろな~」と考えてみて、いちばんしっくりくるのが、あの有名なイエス・キリストのエピソードだった。
キリスト教でもないし、聖書も読んだことないので、まったくのうろ覚えなんだけど…
警察に取っ捕まって連行される罪人に、街の人々が罵声を浴びせながら石を投げつけた。
そこにイエス・キリストがあらわれてこう言った。
「あなたたちの中で罪を犯したことの無いものが、まず、この女に石を投げなさい」
するとそれを聞いた群衆の誰もが、もう石を投げなかった。
そんな話。
罪人に投げつけられる石、これが”正義”だと思う。
正義感の強い人は、”石をよく投げる人”だと思う。
正義の味方は、”罪人に石をぶつける人”だと思う。
で、イエス・キリストは罪に対して裁くのではなく、”許せ”といっている。
ということは「正義」の対義語は「悪」や「罰」ではなく「許し」なのかもしれない。
罪人を許す。
きっと、罪人に石を投げつけて、二度と罪を犯さないように思い知らせるよりも、もっと難しい。
なんでもかんでも罪を許しまくったら、なんだか「悪人が栄えて善人が虐げられるような世界」になりそうだ。
ヒーローものでも主人公が悪の組織を許していたらお話にならないし、そこに”救い”はない。
でも、究極的に罪を許す世界、許ししかない世界、なんてのがあるのなら、そこは罪が存在しない理想郷になるのかも。
まあ、キリスト様ほどパーフェクトに人を許すことは難しいけれど、少なくとも正義の石ころを他人に投げまくる人にはなりたくないものだ。
それにしても、この聖書のエピソードを調べてみてびっくりしたのが、石ころを投げられる罪人は女性で、しかもその罪が”姦通”(浮気や不倫)だったってこと。
ベッキーかよ!!
ネットで炎上騒動を引き起こすのは「正義感が強い人」が多いのだとか。
う~ん、なんか、今も昔もなんにもかわっていないのだね。