シンクロニシティとは「意味のある偶然の一致」という意味の言葉。
心理学者として有名なカール・ユングによって提唱された考え方だ。
例えば、ふと昔の友人のことを思い出して「懐かしいなぁ~アイツ、いま何やってんだろ?」なんて呟いたら、急にその友人から電話がかかってきた。
例えば、夜行列車で偶然隣になった乗客が、宿泊するホテルでも隣の部屋だった。ディナーでも隣の席だったので会話をしてみると、郷里が同じで共通の友人がいた。
そんな因果関係のない偶然の出来事は、通常であれば「すごい偶然ですねぇ」で終わるところだが…ユングはそんな偶然の一致を説明するためにシンクロニシティという概念を創り出した。
人間には何かを考えて決断し、それを行動に移す「表層意識」があるが、その裏には自分でも気づかないうちに判断に影響を与える「無意識」がある。
ユングによると、無意識のさらに深層には、人類が共通して保有する領域「集合的無意識」があるという。
そしてこの「集合的無意識」を介して、人の意識は繋がっているのだ。(見る夢や神話などの類似性も集合的無意識の影響らしい)
この集合的無意識での”繋がり”がシンクロニシティを引き起こす。
そう考えると、先ほど紹介した”ただの偶然”も、集合的無意識によって引き起こされた「意味のある偶然」と捉える事だって出来るだろう。
「久しぶりに思い出した友人」と「自分」は実は集合的無意識で繋がっており、だからこそ友人は自分に電話をしてきたというわけだ。
もちろん、集合的無意識を介して人と人が繋がっているのかどうかはわからない。
しかし世の中には、シンクロニシティ(意味のある偶然)としか考えられないような奇跡的事件が発生している。
バリバリにシンクロニシティな事件を3つ紹介しよう。
シンクロニシティ -意味のある奇跡的な偶然
全員が”偶然”遅刻して助かる!!
1950年のアメリカはネブラスカ州での出来事。
ベアトリスという町のウエストサイド・バプテスト教会では、毎週水曜日の7時半から聖歌隊の歌の練習が行われる予定になっていてた。メンバーはみんな真面目で、練習に遅刻することはなかった。
ある日の水曜日、聖歌隊の練習が行われているまさにその時、教会がガス爆発を起こした!!
爆発でぶっ飛んだ教会を見て、人々は聖歌隊のメンバーを心配した…が、聖歌隊のメンバーである15人は全員無事だった。
なぜ無事だったか?
それは、その日”偶然”にも、いつもは遅刻なんてしないメンバー全員が、それぞれ別の理由で遅刻したから。
車が急に故障してしまい遅刻した姉妹。
宿題に手間取って遅刻した女子高生。
アイロンがけをしていて遅刻した主婦。
ずっと先延ばしにしていた手紙を書いていて遅れた男性。
寒すぎて家を出るのを躊躇して遅刻した女性。
寝坊してしまった青年。そして青年と同じく聖歌隊のメンバーであった母親は、いつもなら息子を叩き起こして一緒に聖歌隊の練習に向かうが、その日はなぜかゆっくりと眠らせてあげようと起こさなかった。
いつもは気にならないような”服の小さなシミ”が気になって引き返した者もいた。
その聖歌隊の練習に毎回参加していた、時間にも厳格な教会の牧師は、なんと時計が遅れていて遅刻した。
真面目で遅刻なんかめったにしない15人のメンバーが、その日に限って全員遅刻する…。
もしいつも通り、全員が7時半に集まって練習が開始されていたら、ガス爆発に巻き込まれて大惨事になっていたところだ。
彼らが集合的無意識で繋がっていたのかどうかはわからないが、まさにこれはシンクロニシティ(意味のある偶然)であろう。
夢のお告げで大儲けした男
1946年のイギリス。大学生のジョン・ドゴレーは奇妙な夢を見て目を覚ました。
その夢の中でジョンは、新聞の競馬コーナーにある勝ち馬欄を見ていたのだ。
勝ち馬欄ではビンドルという馬と、ジュラルディンという馬が勝つ結果になっていた。調べてみると、ホントにこれらの名前を持つ馬は存在していて、しかも近くの競馬場で出場予定ということがわかった。
ジョンは奇妙な夢の”偶然の一致”を信じて、試しにこの2頭の馬券を買ってみた。
すると2頭ともレースに勝ち、ジョンは100ポンド以上の儲けを得ることができたという。
ジョンはその後も何度か競馬新聞を見る夢を見て、その都度馬券を買うと夢の取りに馬が勝利したという。
これは一種の”予知夢”なのかもしれない。夢と現実が不思議な偶然で繋がった話だ。
”偶然”にも小説と同じ運命をたどった男
江戸川コナンの名前の元ネタは、コナン・ドイルと江戸川乱歩の2人のミステリ作家。そんな江戸川乱歩の名前にも元ネタはある。それはミステリ作家の大御所エドガー・アラン・ポーだ。
彼の作品に「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピム」という恐怖小説がある。
その小説の内容を簡潔に説明しよう。
広大な海の真ん中で海難事故が発生し、4人の男が漂流するはめになった。
食料も水も底をつき、飢えと渇きの極限状態の中、4人の中の1人であるキャビンボーイのリチャード・パーカーは恐るべき提案をする。
「これからクジを引いて、当たりを引いた奴を殺し、食料としよう…生き延びるために」
クジをした結果、言いだしっぺのリチャード・パーカー自身が当たりを引き、他の3人に殺されてしまう…。
これが恐怖小説「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピム」の内容だ。
この小説が発表されたのは1838年だが、その約50年後の1884年に、驚くべきことに小説とほとんど同じような事件が発生した。
小説と同様に、4人の男が大海原で遭難し、その内のひとりを殺害して生き延びるという事件。しかも殺されたひとりは、キャビンボーイのリチャード・パーカーという男だったのだ!
事件の内容も、殺された人物の職業と名前も、”偶然”にもすべて一致している。
あまりにも小説と似通っているため、生き残った3人に対する裁判でも論争が巻き起こった。しかし3人はエドガー・アラン・ポーの小説を読んだこともなければ、ポーの名前すら知らなかったという。
まさに不思議なシンクロニシティと言っていいだろう。
シンクロニシティの正体とは?
シンクロニシティ。
意味のある偶然。
それは今回紹介した3つのとても奇妙な事件に限らず、私たちの身近に存在する。
今、自分の人生を振り返ってみて欲しい。
学校やバイト、職場。
知り合い、同僚、友人、恋人、結婚相手。
身の回りにある家具や住んでいる家。
その出会いや、選んだきっかけが、驚くくらい偶然に左右されていることに気付く。
ひょっとしたら、その”出会い”や”選択”は、シンクロニシティの発露なのかもしれない。
偶然、ナンパで知り合い結婚した夫婦は、出会う前から繋がっていたのかもしれない。
偶然、選んだ職場に生涯、仕事抜きで付き合える友人が出来るかもしれない。
偶然、入った不動産屋で、一生を暮らす家が決まるかもしれない。
偶然、手に取った本が、自分の人生を変えてしまうくらいのインパクトを与えてくれるかもしれない。
偶然、ぐうぜん、グウゼン…。
バファリンの半分が優しさでできているのと同様に、私たちの人生の半分は意味のある偶然、つまりシンクロニシティで出来ているのだ。
シンクロニシティは奇妙な物語の中にあるのではなく、日常生活のすぐ隣に存在する。
そう考えると、シンクロニシティの正体は「運命」とか「縁」とか「神様」とか、そんなものなのかもしれない…。