あらゆる地域で、時代で、人々が青空が美しいと感じてしまう理由
青空の色は世界中のあらゆる国、民族、文化、時代の中にあって、共通認識として美しい色とされている。
古代ローマでも平安時代でも、大昔の人々は青色を美しいと認識していた。
アマゾンの文明と切り離された未開部族も青色を美しいと認識している。
多くの日本人も多少の好き嫌いはあれど、青色を良い色、綺麗な色、美しいと認識している。
なぜ青空の色は美しいのか?
それは青空が広がり、太陽が輝いた晴れている状態が、人間に多くの恵みをもたらしたから。
晴れていれば狩猟にも行けるし、作物も育つし、屋外での作業もはかどるし、いろんな所に移動もしやすい。
土砂降りの雨より、曇りよりも、晴れている方が人間は生活しやすいわけだ。
だから、人間は空の色である青色を美しいと感じるように進化した。
逆に曇り空の色である”灰色”や排泄物の色である”茶色”なんかは、世界の共通認識として”汚い色”とされている。
これもその色が付いたものが、人間に対して害をなすことが多かったため、進化の過程で無意識に避けるようになってきたのだろう。
脳の機能の側面からみると、人間は美しいものを見ると眼窩全島皮質が活性化しドーパミンがでる。
ドーパミンが出ると気分がよくなったり気持ちよくなる。
つまり、青空は誰もが無意識に美しいと感じ、ドーパミンが放出されて気分がよくなるわけだ。
美しいものを見て気分がよくなるのであれば、SNSに青空の写真を投稿するのもわかる。
しかし青空の画像ばかり投稿する人は精神的に病んでいる、なんてことも言われている。
それはなぜなのか?
なぜ病んでいる人は青空を撮影するのか?
ある絵画を美しいと感じるためには、ある程度の知識や美的センスが必要となる。
ある電車の写真を美しいと感じるには、電車が好きである必要がある。
つまり何かを美しさを感じるためには、自分自身の趣味趣向や教養などが必要になるわけだ。
しかし先ほども説明した通り、青色を美しいと感じるのは本能に近いかなり根源的なもの。
そこには趣味趣向も知識も経験も何も必要ない。
老人も子どもも人種も性別もなにも関係ない。
病んでいる人、うつ状態の人は、心の機能が低下している。
考えることもできなくなるし、感受性も低くなるし、ネガティブなことを考えてしまうし、美しいと感じることもできなくなる。
健康な心理状態であれば、道端の草花を美しく感じて撮影するかもしれないし、電線に止まったスズメを撮影するかもしれない。
これから食べる料理を撮影するかもしれないし、出かけた先の風景を撮影するかもしれない。
しかし心が病んでいると、そういった身近なものに美しさを感じなくなってしまう。
そんな病んでいる人でも、何の抵抗もなくスッと「美しい」と感じてしまう
…それが青空なのではないだろうか。
身の回りに美しいものがなにもない。
だけど見上げると澄み切った青空がある。
だとしたら、撮影してこの美しさをのことしておきたいと考えるのは当然だろう。
そしてこの美しさを誰かと共有したいと感じたら、SNSに投稿するはずだ。
もちろん青空の写真ばかり撮っているからといって、必ずしも病んでいるわけではない。
だけど、いつもは気にも留めていなかった青空が急に綺麗に感じ始めたら…
ちょっと心が疲れているかもしれないから気を付けよう!