人間がもっとも”嫌がる状態”とはなにか?
仏教用語に四苦八苦という言葉があり、そこには人間が生まれて死ぬまでの苦しみがギュッと凝縮されている。
- 生まれる苦しみ
- 老いていく苦しみ
- 病気の苦しみ
- 死ぬ苦しみ
- 死別する苦しみ
- 嫌いな人に会う苦しみ
- 欲しいものが得られない苦しみ
- 自分自身が思うままにならない苦しみ
これらに苦しみよりも避けたい状態が、人間にはある。
それは”退屈”だ。
「刺激を求め退屈を避ける」
これが人間の行動原理の本質だと、勝手に思っている。
考えられないかもしれないが、人間は退屈するくらいなら苦痛を選ぶ。
それを踏まえたうえで、人生で最も大事なスキルは何なのかを考えたとき、それは退屈力(退屈を受け入れる能力)なのではないだろうかと思える。
てか、悟りの境地とは退屈力なのではないかと。
(そう考えると、めちゃくちゃハードな苦行をしている修行僧は、その苦行ゆえに悟りの境地から離れていっているということになる)
「1週間に5日働き、2日の休日に体を休める。
この繰り返しを自分が死ぬまでずっと繰り返し続ける」
この例のような人生はまさに退屈なイメージ!
実際には仕事中にいろんなことが起こるし、休日にはいろんな楽しいことがあるにしても、この”退屈のイメージ”を受け入れる退屈力がない人間は人生でいろいろと苦労するハメになるだろう。
なぜなら、そんな人は人生に過剰な刺激を求めるからだ。
そしてその刺激には、もちろん幸福な出来事も含まれているが、往々にして不幸な出来事の方が多めになってしまう。
刺激には幸福も不幸もないのだから。
ここで、退屈に関する2つの実験を紹介しよう。
ボタンを押すと自分自身に電気刺激が走り痛みを感じる状態にした被験者を集め、何もない部屋でわざと退屈な状態にする。
すると男性で67%、女性でも25%の被験者が、自ら電気刺激を求めたという。
退屈するくらいなら、痛みを感じた方がマシってわけだ。
また、「退屈であればあるほど糖分や脂肪分がたっぷりのジャンクフードを食べたくなる」という研究結果もある。
糖質や脂質は食べると脳内で快楽物質が放出される。
退屈であるくらいなら刺激を求め、その結果健康を損ない、太ってしまうわけだ。
刺激を求めすぎると不幸になるとしたら、
極論を言えば、幸せな人生を歩むには、つまらなくて退屈な人生を受け入れる必要がある。
ほどほどに働き、金持ちになんかならない。
ほどほどに健康で、たまには病気したりする。
たまには嫌いな人にも会うし、欲しいものすべてが手に入らない。
政治にほどほどに不満を抱え、人間関係もほどほどに付き合う。
熱中できる趣味はないけど、ほどほどに好きなことはある。
苦しみもなく、楽しみもなく、ただ時の流れに身を任せていく。
そんな退屈な人生。
まあ、そんな退屈な人生を受け入れろとはいわないけど、刺激を求め過ぎると幸せと不幸が同時にやってくる可能性が高いってことだけは覚えておいた方がいいかもしれない。