「ああ、これから先の人生、大丈夫かなぁ~…」
いつも感じている、いいようのない不安の正体とはなんだろう?
この心を支配する不安を綺麗さっぱりと拭い去る方法はないのだろうか?
今回は”不安”ってヤツの正体と、不安を和らげるための方法を紹介したい。
不安の正体とは?
不安を解消する方法を知るには、まず「不安とは何か?」を知る必要がある。
あらためて考えてみると、意外とわからない…。
不安とは何だろうか?
ふ‐あん【不安】
[名・形動]気がかりで落ち着かないこと。心配なこと。また、そのさま。「不安を抱く」「不安に襲われる」「不安な毎日」「夜道は不安だ」
参照元:デジタル大辞泉
辞書では落ち着かないこと、心配なこと、と説明しているが、これでは不安の本質を説明していない。
不安の本質を一言で説明するとこうなるだろう。
「不安とは対象の曖昧な恐怖のことである」
不安ってのは、恐怖を感じているんだけど、何に恐怖を感じているのかわかんない状態と言っていいかもしれない。
のど元に突き付けられたナイフに対して恐怖を感じる人はいるけれど、そのナイフに不安を感じる人はいないはず。
自動車が暴走して轢かれそうになっている瞬間に恐怖を感じる人はいるけれど、不安を感じている人はいないだろう。
それは、恐怖の対象が明確で差し迫っているからだ。
では「明日のテストで良い点を取れるかどうか?」についてはどうだろうか。もし成績が悪かったら落第してしまうとしたら?
テスト勉強をメチャクチャ頑張って自信がある学生なら、恐怖や不安など微塵も感じないだろう。これは結果が明確であるからだ。
テスト勉強を頑張ったけれど、テストでいい点を取れる自信がなかったら?きっと結果が不明瞭なために不安を感じるはずだ。
ま~ったく勉強をやらず問題もチンプンカンプンだとしたら、感じるのは不安ではなく落第に対する恐怖に違いない。
もし○○だったらどうしよう?
もし××が起きたらどうしよう?
このような不明確な恐怖が、不安の正体といえる。
つまり「不安」と「恐怖」はとても似ている感情であり、連続体として成立しているのがわかる。
恐怖スペクトラム(連続体)といってもいいかもしれない。
恐れの対象が明確であればあるほど「恐怖」になり、対象が曖昧で不確かなら「不安」になっていく。
☆恐怖スペクトラムのグラフ☆
対象の明確さ | 明確で差し迫っている恐怖 | 明確な恐怖 | 対象が不明瞭な恐怖 | 原因不明の恐怖 |
感情 | 超怖いっ!! | けっこう怖い | なんか不安 | すっげ~不安 |
不安は原因が明確ではないため、幽霊をぶん殴ることが出来ないのと同様に、解決が不可能だ。
だから不安に対処するには、まずしっかりと恐怖の対象を明確にする必要がある。
その次に、恐怖に対して対策を行う。この順番は絶対だ。
しかし、不安の根源である恐怖の対象を明確にするのは、なかなかに難しい。
例えばテストで悪い点を取ることに不安を感じている子供がいたとして、その不安を解消するために滅茶苦茶勉強したとしたらどうなるだろうか?
きっとどれだけ勉強して、どれだけいい成績をとったとしても、その不安は拭われることはないだろう。
なぜなら、その不安の根源となっているのは「親に見捨てられる恐怖」なのだから。
恐怖の対象を正しく明確にしないと、恐怖を克服するためにしていた努力がまったくの見当違いだった、なんてこともあり得るから注意が必要だ、それには、自分自身の根源的な価値観や欲求と向き合う必要があるだろう。
「恐怖の対象を明確にする」→「対処方法を考える」が大事
もし自分がどうしようもなく不安になっているとしたら、まずはその不安の原因を知ることが重要になる。
往々にして人は自分の恐怖の対象を、自分でもよくわかっていないことが多い。原因がわからなければ、不安は募るばかりで消えることはないだろう。
自分の心の中をよく観察し、何が怖いのか、よ~く考えてみよう。そうすれば、思いがけない恐怖の対象を見つけられるかもしれない。
もし恐怖の対象が明確に分かれば、問題は半分解決したといっても良い。あとは恐怖に対する対策を考えるだけ。
試験が怖ければ勉強する。
車の運転が怖ければ練習する。
対人恐怖症なら人との会話の経験を積む。
孤独が怖ければ、友人や恋人をつくる努力を重ねる。
このように「恐怖の対象を明確にする」→「対処方法を考える」という道筋を通れば、不安を効率的に排除することが出来るだろう。
恐怖や不安を和らげる方法
しかし、人間は不思議なもので、人によって恐怖や不安の感じ方が違う。自分で自分の恐怖の対象に気付けない人もいるだろうし、気づいたとしてもどう対処していいか分からないこともあるだろう。恐怖に対処するための努力が出来ないって人もいるかもしれない。
そんなわけで、不安そのものを和らげる方法を紹介したい。
米ロードアイランド大学の心理学者ジェームス・O・プロチャスカ博士が面白い心理実験をしている。
その実験の内容を説明しよう。
まず約60名の学生を3つのグループに分けて、それぞれ別の内容が吹き込まれたテープを聞かせる。
A:「ああ…問題がまったくわからん!…もうダメだぁ~!!」といった、テストで問題が解けなくて苦しんでいる内容。
B:「あんたッ!このままじゃろくな人生送れないよ!学費の無駄だよっ!!」といった、テストで失敗して親に怒られている内容。
C:「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!気持ち悪ッ!!!」という、ベッドにイナゴが入っていてビックリして絶叫している内容。
このテープを聞かせた3つのグループに、3週間後に実際にテストを受けてもらった。
すると、試験への恐怖を疑似体験したAとBのグループは、3週間後のテストで優秀な成績を収めた。またAとBのメンバーは、テープを聞いたときは強い恐怖に駆られていたものの、実際のテストではそれほど緊張を感じなかったという。
対してイナゴへの恐怖を植え付けられたCグループは、3週間後のテストでも普通に緊張してしまい、その結果もイマイチであった。
プロチャスカ博士は試験への恐怖をテープを聴くことで疑似的に体験したため、本番のテストで緊張せずに望むことが出来たのだとしている。
恐怖や不安を払しょくするには、とことんまで最悪を想定する!!
ネガティブな人間は物事を悪いようにとらえているが、それは最悪を想定しているといっても良い。
もし万が一、ホントに最悪の事態に陥った場合、ただ楽観的に物事を捉えていた人間は、パニックを起こしたり右往左往するばかりで何もできなくなるだろう。
だが「もし、ああなったらどうしよう…」「こうなったら…?」なんて不安を抱えていた人間は、いざその事態に直面した時に、普通の人よりも平静でリラックスした状態で物事に対処できるのではないだろうか?
もし将来が不安で仕方がなかったとしたら、”最悪の将来”を明確に、ありありと想像することが有効だ。
例えば「一生独身で孤独な老後を過ごすのではないか?」という不安を抱えていたとしよう。
75歳くらいになった自分、身体は衰えてうまく動かず、もちろん働けないので年金生活。だけど毎月の年金も雀の涙ほどしかもらえず、いつも安い食材を調理するかカップラーメンですませる食事。
親族とも疎遠になり、友人もいない。近づいてくるのは近所の野良猫だけ。もしこの孤独な部屋で倒れて死んだら、死体が発見されるのは数か月後になるだろう。
誰ともしゃべらない毎日。ただぼ~っとテレビを観ながら日が暮れて、いつの間にか1日にが終わる。何年も、何年も、この繰り返し…。
悪夢だ。
最悪だ。
死んだ方がマシだ。
…だけどその一方で、この悪夢のような将来を思い浮かべ、実際にこうなるかもしれないとリアルに思ったとき…なぜか安心する気持ちも心のどこかに湧き上がる。
漠然とした不安が明確なになることで、少しだけ不安が和らいでいく。
その後は、そんな将来を回避するために努力しても良いし、まったく何もしなくてもいい。その悪夢のような将来を疑似的に体感することで、実際の”最悪の老後”のストレスを和らげることができるだろう。
人間は曖昧な事柄に対して、すっごくストレスを感じるもの。
不安を恐怖に変えてしまえば、慢性的なストレスは軽減するはずだ。なぜなら、恐怖という感情は長続きしないから。
…穏やかな不安の中で溺れるよりも、激流のような恐怖の中に身を投じる方が、人生は上手くいくのではないだろうか?