もし殺したいほど憎んでいる相手がいたとして、だけど自分の手は汚したくないので呪いの儀式を行ったとしよう。
その後ホントにその相手が死んだとしたら、その人は殺人罪に問われるのだろうか?
…かつて丑の刻参りを行い、警察に逮捕された女性がいた。
その事例を紹介すると共に、呪いと刑事事件の関係を紹介しよう。
呪うと罪になるのか?
まず結論から言うと、呪いで相手が死んだとしても殺人罪に問われることはない。
呪詛という行為は、刑法上「不能犯」に分類されるからだ。
不能犯(ふのうはん)とは、刑法学上の概念の一つで、犯罪的結果の発生を意図したにもかかわらず、その行為の性質上、当該結果を発生させることがないため、犯罪が成立せず、刑罰の対象とならない行為のことをいう。
ウィキペディアより抜粋
不能犯とは「相手を殺したい、不幸にしたい、という意図で行った行為でも、その行為自体になんの効果もなければ刑罰の対象にはならない」ということ。
呪う事で相手が不幸になったとしたら、呪いと不幸の因果関係を立証しなければならないわけで、それは科学的にも困難を極めるだろう。
しかし「呪い」が本当に効いて、それが刑事事件になるパターンも存在する。
丑の刻参りで警察が動いた事例
事件は昭和29年秋田県で起きた。ある女性が胸の痛みを訴え、突然倒れたのだ。
医者も原因不明と頭を抱えるこの謎の病の原因は…なんと丑の刻参りだったという。
この倒れた女性はある男性と交際していたのだが、この男性が警察に「彼女は呪いの藁人形にかけられている!!」と訴えたのだ。
女性を呪っていたのは、男性の元交際相手。
その元交際相手は、女性の出現で男性にフラれたので逆恨みし、丑の刻参りを行っていたという。
警察は脅迫罪で元交際相手を逮捕。
すると、逮捕後に女性はみるみる体調が回復していったという。
不思議な話だが、本当に丑の刻参りの呪いに効果があったのだろうか?
ここでのポイントは”脅迫罪”で逮捕って所だろう。警察が何の根拠もなしに、いきなり脅迫罪で逮捕ってことはありえないので、元交際相手は女性に対し何らかのアクションを取っていた可能性が高い。
男性も丑の刻参りの事を知っていたわけだし、倒れた女性も自分が呪われている事を知っていたに違いない。
五寸釘の刺さった藁人形が、自宅に送り付けられていたかもしれない。
自分が呪われている…その事実だけで凄まじいストレスのはずだ。
それによる精神的苦痛や自己暗示で本当に体調を崩してもおかしくはないだろう。
男性の元交際相手が逮捕された後にみるみる体調が回復したのも、もう呪われていないという事実を知ったからではないだろうか。
呪いうこと自体は犯罪ではないが、それが相手に知れた場合は脅迫罪になる場合がある。
また、呪いの内容によっては名誉棄損罪、侮辱罪などの罪に問われる場合もあるのだ。
呪いなんてホントはなくて、結局のところ倒れた女性は自己暗示で体調を崩した…確かにそうかもしれない。
しかし、呪いの存在を信じたくなるような奇妙な実験結果も存在する。
抹殺祈願!プーチン大統領を呪い殺そうとして逮捕された高齢男性
千葉県警松戸東署は15日、同県松戸市の神社の境内にある神木にわら人形を打ち付けたとして、器物損壊と建造物侵入の疑いで同市、自称無職の男(72)を逮捕した。署によると、黙秘している。わら人形の頭の部分にはロシアのプーチン大統領の顔写真が貼られており、胸には「抹殺祈願」などと書かれた紙が折り込まれていた。
ウクライナへの軍事侵攻で世界中から批判されているロシアのプーチン大統領。
そんなプーチンを世界平和のために呪い殺そうとした72歳の男性が逮捕された。
罪状はプーチン大統領への脅迫罪…ではなく、器物破損と建造物侵入。
この男性が藁人形を打ち付けた木は、樹齢数百年のご神木
そんなご神木に釘で藁人形を打ち付けたわけだから、器物破損にもなるだろう。
おまけに、無断で神社に侵入した建造物侵入罪もついている。
しかもこの事件以外にも、周辺で10件以上もプーチン藁人形を打ち付けていたとか。
プーチンを懲らしめたいという気持ちはわかるけれど、やり方が問題すぎますね。
祈りが治癒能力を高めるという実験
世の中には他人の幸せを願う祈りも存在する。
丑の刻参りのような他人の不幸を願う”負の呪い”もあるが、他人の幸せを願う祈りはまさに”正の呪い”といえるだろう。
そんな祈りの効果を裏付ける興味深い実験が、2001年アメリカのデューク大学医学部でなされた。
入院患者150名を対象に行われた実験によると、他人に祈られた患者はそうでない患者よりも圧倒的に回復が早かったという。
しかもこの実験、プラシーボ効果を防ぐために、患者にも担当医師にも秘密で行われたというからすごい。
「なんか体調がいいなぁ~」なんてのんきに思ってたら、どこかで見ず知らずの誰かが自分の為に祈ってたというわけ。
祈りや呪い、そんなもの絶対にないといいきれるだろうか?
この実験を見ると、誰かへの想念がその人にフィジカルな変化を起こす、そんな事があり得るのではないかと思ってしまう。
人を祈ればしあわせふたつ
明治時代までは「相手を呪い殺した場合、首切りの死刑!!」と法律に明記されていたという。
なぜ明治時代に至るまで、そんなばかげた法律があったのか?
言うまでもなく、陰陽師の活躍した平安時代のそのまた昔から、呪いはず~っと効果的であったからだろう。
戦後の日本では、そんな非科学的法律はなくなった。少なくとも現代の日本で、丑の刻参りを行っても刑罰に問われることはない。
しかし先ほど紹介した事例のように、呪っていることを相手に伝えた場合、負のプラシーボ効果で体調を崩す恐れがある。その場合は罪に問われる場合もあるだろう。
「人を呪わば穴ふたつ」ということわざがある。
誰かを呪い殺せば、その呪いが自分にも跳ね返り、相手と自分のふたつの墓穴が必要になるという意味だ。
効く効かないは別にしても、誰かを呪う行為は絶対に自分を不幸にする。
「人を祈ればしあわせふたつ」ということわざがある。
いまテキトーに創った。
誰かの幸せを祈れば、その祈りが自分にも跳ね返り、相手と自分で2倍幸せになれるという意味だ。
「世界の平和を祈っています」
規模がデカすぎて陳腐にすら聞こえるそんな祈りも、実際にに世界の平和に貢献しているかもしれないし、祈る人をとんでもなく幸せ気分にしているのだろう。
私たちは有意義な人生を送るために、より積極的に祈るべきかもしれない。
神に対してでなくてもいい。
普段気にも留めない家族や友人、そんな人たちの幸せの為に、夜寝る前に5秒間だけ祈るのも悪くないのではないだろうか?